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act.8月虹ワルツ<132>
「まぁ無理もないか。一緒に暮らしてた頃は女の子みたいな格好毎日させられて、さぞ可愛がられていたんだろうしなぁ?」
馨が葵に向ける愛情が父親の枠から大きく外れたものであることは、外野から見ても随分分かりやすいらしい。下卑た笑いがそれを如実に示していた。
宮岡はせいぜいキス止まりだったろうと予測していたが、馨の異常性を考えればもう少し違う触れられ方をしていた可能性は捨てきれない。絶対に無かったと言い切れないことが悔しくて堪らない。
それにこうして好き勝手に妄想されるたびに葵が侮辱され、尊厳を踏み躙られているような気分になる。
「どうやったら視界から消えてくれます?」
「そう嫌うなって。俺はただあの子と話が出来ればそれで満足だ。今呼んできてくれれば終わる話。簡単だろ?俺だってあっちこっち動き回るのは疲れるんでな」
嫌悪感を隠しもせずに運転席に座ったままの根岸を見下ろせば、彼はこの状況が不本意だとばかりに肩を竦めてみせた。勝手に追いかけ回しておいて随分な言い草だ。
「何も覚えていない、それが答えです」
葵に代わり、冬耶が彼の望むものを差し出してやった。それは事実ではないけれど、はなから彼には共有する気がない。嘘をつくことに心を痛める必要性も感じられなかった。
「何もって、言葉の通りか?」
「えぇ、何も。それに、あなたのような人間が騒ぎ立てる噂話も、何一つ耳に入れずに育ててきました。エレナさんは眠るように亡くなり、夜空に輝く星になった。そう信じています」
「……そりゃ過保護なこった」
はじめは疑うような目を向けてきた根岸も、冬耶の言い分にはそれなりの信ぴょう性を感じたらしい。西名家の面々が何よりも大事に葵を守っていることは、彼も認めているようだ。
「なるほどな、そのおとぎ話を俺に壊されたくないってわけか」
冬耶が頑なに根岸を排除しようとする理由に、彼はそう結論づけた。
「それならそうと初めに言ってくれりゃいいのに。無駄な時間を使っちまった」
「あなたが聞く耳を持つとも思えませんでしたから」
「ま、それもそうだ。んー、となるとやっぱりあの兄さんを当たるべきか」
思っていたよりもあっさりと身を引いた訳は、葵の他にも手がかりとなる人物に心当たりがあるかららしい。こんなことなら、もっと早くにこうして彼を追い払っておけば良かったと後悔させられる。
「なぁ、あの子から手を引く代わりに、紹介してくれないか?」
「誰をです?」
「決まってんだろ、秋吉っつー兄さん。面識はあるよな?さすがに藤沢馨の傍にひっついてる男には迂闊に近付けなくてな」
エレナが亡くなったあの日の現場には穂高もいた。真っ青になって震える葵を抱き締めていたのが彼だ。当時目の前で起こったことを理解するのが困難なほど幼い葵よりも、十分に物事の通りが分かる年齢だった穂高のほうが根岸の言う真相に近い存在のはず。
それでも葵をターゲットにせざるを得なかったのは、穂高のガードが厳しかったかららしい。
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