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act.8月虹ワルツ<142>
「で、お前は?葵ならいねぇよ」
「分かってます。そうじゃなくて……」
食堂で聞いた会話や、都古の様子が気になってやってきたことを簡潔に告げれば、京介は呆れたような表情を浮かべた。爽に対してではなく、無鉄砲な行動をとる友人に向けたもののようだ。
「都古なら葵の部屋に居ると思うけど」
「なんだ、こっちに帰ってきてなかったんすね」
「来るわけねぇよ。あいつ、ここじゃ寝らんないから」
京介は何でもないことのように言うが、引っかかる発言だった。
「喧嘩したんすか?」
「いや、別に。つーか、いつも揉めてるようなもんだから、よく分かんねぇけど」
これが平常運転だという京介に納得させられる。確かに二人は仲の良い友人同士という関係には見えない。葵を挟んで対抗心を燃やし続ける間柄。葵がいる前では表立って言い合うことは少ないが、葵がいなければ共に過ごす理由もないのだろう。
「んで、都古んとこ行くの?」
無意味だと言いたげな視線。確かに扉をノックしたところで顔を出す可能性は限りなく低い気がする。仮に出てきてくれたとて、訪問者が爽だと分かった瞬間に舌打ちでもかまして遠慮なく閉めてきそうだ。簡単に想像がつくのに行くなんて愚かだという京介の言い分はもっともだ。
でも京介は曖昧に答えることしか出来ない爽に妙なことを言い残して去って行った。
「もし出てきたら薬飲んどけって言っといて」
彼も彼で都古の様子は気掛かりらしい。見捨てられないところが京介の性格を如実に表しているようだった。
葵の部屋は廊下を一つ曲がった先にある。時折すれ違う上級生たちは皆、一年のくせにこのフロアに足を踏み入れた爽に訝しげな目を向けてくるが、表立って咎めてくるようなことはなかった。
だから堂々と突き進んでいくが、爽は廊下を曲がった瞬間に足を止めた。
「……あいつ」
少し離れた距離からでもすぐに分かる。都古にちょっかいを掛けようとしていた集団の主犯格の生徒だった。名前は確か尾崎。彼が身を屈めているのは事もあろうに葵の部屋の前。床に置かれたビニール袋に手を伸ばし、中に入ったタンブラーを取り上げようとしていた。
「あの、すみません」
咄嗟に爽は尾崎の元に駆け寄り、声を掛ける。以前見掛けた未里との会話の中で、“クスリ”なんて不穏な単語が飛び交っていたことが瞬時に頭を過ぎったのだ。あの時の尾崎は乗り気ではなさそうだったが、心変わりをしていてもおかしくない。飲み物に手を伸ばしていたことが、爽に嫌な想像をさせた。
「留守でした?」
尾崎への警戒心を隠し、あくまで先客への自然な質問の体をとった。すると尾崎は何も答えずそそくさと立ち去って行く。
計画的なものではなく、偶然舞い降りたチャンスに思わず魔が差して後先考えずに手を伸ばしてしまったように見えた。こんな人通りの多い場所でも体が動いてしまうぐらいには、都古への関心も恨みも根深いものなのだろう。いずれにせよ、未然に防げてよかったと思う。
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