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act.8月虹ワルツ<143>

ビニール袋の中身は都古への差し入れのようだった。あの尾崎が用意したものなのかと思ったが、おにぎりを包んだ容器に貼られたメモ用紙でその送り主を知る。 “お大事に” そんなメッセージと共に書かれていたのは“高山”という名だった。怪我をした都古を一番に見つけたのは奈央だと聞いた。当然怪我の程度もよく把握しているのだろう。一人寮に残った都古を心配して、食事の世話を焼こうとしたようだ。もしかしたら葵に頼まれたのかもしれない。 扉をノックし、反応がなかったからやむなくここに差し入れを置いていったのだろうが、誰が触るとも分からない場所に都古が口にしかねないものを放置するのは危ない。 奈央がショックを受けるだろうと思って、尾崎や未里の関係を耳には入れなかったが、伝えておくべきだったかもしれないと悔やまれる。そうすれば奈央も警戒心を持ってくれたはずだ。 「どうしよっかな、これ。勝手に捨てんのも微妙だよな」 奈央が親切で置いていったものを処分するのは気が引けるが、尾崎が触ったままにしておくのは怖い。おそらくは何かをされる前に食い止められたと思うが、絶対ではないからだ。 しばらく扉の前で差し入れと対峙しながら唸っていると、カチャリと鍵が開く音が響く。そしてわずかに開いた隙間から、青白い腕がスッと伸びてきた。 「ちょ、ストップ」 「……は?」 扉の中に吸い込まれそうなビニール袋を必死で掴み返すと、中から怪訝な声が聞こえてきた。当然だろう。 「なに、お前」 「いや、なんていうか、説明すると色々長くなるんすけど」 顔を覗かせた都古にひと睨みされ、爽はこの状況を伝えるうまい方法を必死で模索した。だが誰が通るとも分からないこの場で未里が都古を襲うよう尾崎をけしかけていた、なんて話すわけにはいかないし、都古にとってはあまりにも不愉快な内容だろう。でもこの差し入れを都古に渡せない理由が思いつかない。 「あ、あの……俺、腹減ってて」 「はぁ?」 苦しすぎる言い訳は、都古から一層冷めた声を引き出すだけに終わった。わざわざ怪我人から差し入れを奪おうとするほどの空腹なんて馬鹿馬鹿しいにも程がある。軽蔑された目で見られるのが居た堪れない。 慌てる爽を見て何を思ったのか、隙間から覗く都古の顔からはちっとも分からない。でも彼は数秒の無言のあと、ビニール袋から手を離してぴしゃりと扉を閉めてしまった。 「絶対変なやつって思われた、最悪すぎる」 無口な都古がわざわざこの話を誰かにするとも思わない。それだけが救いだが、今後彼から食い意地の張った変人という不本意なレッテルを貼られるのは間違いない。 聖と一緒ならもっとうまく立ち回れた気がする。自立したいと思っていたはずなのに、こんなことを考えてしまうなんて情けなくて仕方ない。逃げるように自室に戻った爽は、結果的に持ち帰る羽目になった差し入れの包みを見つめながらやり場のない不甲斐なさに襲われるのだった。

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