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act.8月虹ワルツ<144>

* * * * * * 歓楽街の一角にある雑居ビル。その地下でひっそりと営業しているダーツバーが京介のバイト先だ。 高校生でも深夜帯に働かせてくれる店はないか。幸樹にダメ元で尋ねたところ、この店のオーナーを紹介されたのが一年前のこと。制服を着ていなければまず高校生には見られない容姿を気に入られて、面接が始まってすぐに合格を言い渡された。 「悪いね、今日入れないって言ってたのに」 京介が店内に顔を出すと、カウンターにいたこの店のオーナー祐生が手を上げてくる。土曜の夜にも関わらず、店内には一人でゲームを楽しむ客がいるだけ。寂しい客入りだが、この店はそれでいいらしい。 幸樹の口利きとはいえ、高校生を平気で雇えるような店だ。恐らくダーツバーは表向きの顔で、裏では何か機能を持たせているのだと思う。だが京介はそれには一切関わらないと宣言したうえで働いているし、彼らも京介を巻き込むつもりはないようだ。危険が全くないとは言い切れないが、京介にとっては割のいい楽なバイト先だ。 「何か予定あった?ごめんな」 「いや、別に大した用じゃないんで」 試験が今日で終わることを知って、祐生からは元々今夜シフトに入ってほしいと乞われていた。特別な用事があって断っていたわけではない。ただ、葵と同じ部屋で過ごす最後の夜だから傍にいるつもりでいたのだ。でも葵が遥の家に泊まりに行くことになって、その必要がなくなった。 「着替えたらそこの片付けよろしく」 祐生が指差したのは団体客向けのエリア。そこのテーブルには空いたグラスや皿が散乱したままになっていた。少し前まではグループ客がいたようだ。あまりマナーの良いタイプの客ではなかったのだと、テーブルの惨状から想像がついた。 キッチンを抜けるとスタッフのロッカールームも兼ねた事務所スペースに辿り着く。制服は黒いシャツとスラックス。腰に巻くエプロンも何のデザインも入っていない黒一色のもの。手早く着替えて仕事に取り掛かる前に、一度携帯をチェックする。 “絶対に寝坊しないよ” 一件届いていたメッセージの送り主は葵。彼とは明日の待ち合わせについてのやりとりをしていたところだった。 遥の帰国で約束は一旦なかったことになったと京介は思い込んでいた。寮の部屋が離れるとはいえ、その気になれば葵とはいつでも会える。さすがに二ヶ月ぶりに帰国した遥には対抗する気も起きなかったし、それで葵を責めるつもりもなかった。 でも葵は変わらず京介と映画に行くつもりだったらしい。待ち合わせ場所をどこにするか問う連絡が入り、時間や場所を返信したメッセージの最後に“寝坊するな”と意地悪を付け加えていたのだ。 “楽しみにしてるから” ムキになった返事とともに、京介を喜ばせる言葉が並んでいた。本当なら遥との時間を最大限過ごしたいと思っているはずだ。けれど、京介との約束を忘れず、心待ちにしていると言われれば気分は悪くない。 “おやすみ” 寝るには早い時間だけれど、京介はそう送って会話を締めくくる。自分も楽しみにしているのだと素直に送れないところがダメなのは自覚しているが、いくらテキストであっても気恥ずかしいものはどうにもならない。

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