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act.8月虹ワルツ<145>

指示通りにテーブルを片付け、カウンター裏に運んだ食器類を洗う作業を始めると、祐生が正面の席に座ってくる。手にはウイスキーグラス。雑務を任せられる人間が来ると、彼はすぐに酒を飲み始める。 祐生の年齢を尋ねたことはないが、おそらく三十代半ば。縁の太い眼鏡を掛けてはいるけれど、口元のヒゲと、少し開いたシャツの胸元から覗くタトゥーのせいで、真面目どころか遊び慣れた大人という印象を与える。 「最近忙しそうだな。ちゃんと“高校生”やってるんだ?」 ここのところあまり店に顔を出せなかったのは、葵の傍から離れられなかったからだ。 葵が眠りについたあと寮を出て、目覚める前に帰ってくる。元々は休日の他に平日週に一、二度そんな生活を送っていたけれど、葵を置いて出掛けるのが不安で、祐生からの連絡に断りばかりを入れている状況だった。 「すいません、全然入れなくて」 「久々にしっかり店長やっちゃったよ」 食器を洗う手は止めず謝罪を口にすれば、祐生はおどけた様子で笑った。 京介と同じく深夜帯で入っていた大学生のバイトがこの春で就職してしまってから、人員が補充されていない。いくら混雑とは無縁な店とはいえ、さっきまで居たようなグループ客が一組でも現れれば、祐生一人で回すのは苦労するだろう。 「誰か雇わないんすか?」 「京介がどのぐらい入ってくれるか次第。シフト、増やせない?」 無理を言って雇ってもらっているのは京介のほうだ。だから本当なら二つ返事で了承するのが筋だとは思う。けれど、葵のことを考えれば断る選択肢しか浮かばなかった。 今夜は遥が葵に付き添っている。だから安心して出て来れたけれど、明日から葵は一人で眠りにつくことになる。精神的に安定してきたようには見えるが、油断は出来ない。葵が心を乱した時に一番に駆け付けてやりたいし、落ち着かせることが出来るのも京介だという自負があった。 「……しばらくは難しいっすね」 「あ、もしかして最近幸樹くんのほう手伝ってる?それなら全然、そっち優先しちゃって」 理由は濁しながらも断りをいれた京介の態度を見て、祐生はなぜか幸樹の名前を口にした。妙に納得した素振りをしているのも気に掛かる。 「忙しそうだもんね、幸樹くん」 「いや、別にあいつとつるんでるわけじゃないです」 「そうなんだ?京介も関係してるのかと思ったよ。だってほら」 “先生捕まえてるんでしょ?” 一段階声をひそめた祐生が囁いてきた言葉で、嫌な記憶が蘇る。幸樹が捕らえた教師など、一人しか思い当たらない。いつも葵にじっとりとした視線を送っていた生物担当の教師の顔とあの夜見た倉庫の景色が浮かんで、京介は思わず顔をしかめた。

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