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act.8月虹ワルツ<146>

「やっぱり知ってるんだ。あの人、何しでかしたの?」 「……祐生さん、会ったんですか?」 「会ったっていうか、案内したよ。場所貸して欲しいって幸樹くんに頼まれたから」 好奇心を隠しもせず楽しげな祐生の態度とは裏腹に、京介は気分がますます降下することを自覚した。 一ノ瀬のことは憎くて堪らないし、目の前に現れたら一発殴るだけでは到底気が済まないと思う。けれど、幸樹がわざわざ特別に場所を借りてまで何をしているのかを考えれば、複雑な感情に襲われる。 「あの幸樹くんが珍しく感情的になってるように見えたから、ちょっと気になってさ」 祐生の中で幸樹は何事も淡々とこなすドライな印象らしい。その彼が己の感情を抑えきれていなかったことで、興味を抱かせてしまったようだ。 “一番大事な子” 幸樹は若葉に対して葵をそう表現したらしい。それはきっと嘘偽りない幸樹の気持ち。だから彼は一ノ瀬が引き起こした事件の後始末にも積極的に動いてくれている。一ノ瀬が危険な人物だと認識しながらも、盗撮以上の行為には及ばないと見くびっていたことへの贖罪にも思えた。 「詳しくは知らないです」 動揺を見せてしまった手前、何も知らないという言い分は通用しないだろうが、一ノ瀬が葵に何をしたかなんて口にしたくもない。京介がそれ以上の詮索を拒むと、祐生は残念と笑いながらあっさりと引き下がった。 「お、あとでマイちゃん来るって」 しばらくは大人しく携帯をいじっていた祐生は、そんな言葉と共にやりとりが繰り広げられた画面をこちらに向けてくる。京介が出勤していると祐生が伝えるメッセージに、ハートマーク付きで返事を寄越している相手は近くの店に勤めている女性。時折自分の客を連れてやってくる常連で、面識はあった。 どうやら彼女は京介を気に入っているらしく、隙を見ては酔っ払ったような素振りで腕を絡ませたり、しなだれかかってくる。客と従業員という立場上強くあしらうのが難しいため出来れば関わりたくない相手だったが、祐生がそれを面白がっているせいで願いは叶わない。 「美人だし、スタイルもいい。京介ぐらいの年齢だったらああいうお姉さんに可愛がられたいとか思うもんじゃないの?」 相当険しい顔をしていたのだろう。俺はそうだった、と祐生は自分の学生時代を振り返りながら京介の態度を不思議がってくる。 確かに客観的に見れば綺麗な女性だとは思う。だが生憎性的な魅力は何も感じなかった。比べるまでもなく葵のほうがよほど可愛いと感じてしまうし、抱きたいのはあの凹凸のない華奢な体。 「興味ないんで」 「もったいないなぁ、遊んでもらえばいいのに」 誘いに全く乗らない京介に、祐生は飽きるどころかますます興味が湧いたとばかりにカウンターに身を乗り出してくる。 「付き合ってる子いるんだっけ?」 「いえ」 「好きな子がいるとか?」 「いません」 祐生には世話になっているが、彼の素性や幸樹との関係性は不明なまま。オーナーと従業員以上の関係を築かないほうがいいのだと思う。だから京介も自身の個人的な情報は、幸樹と同じ高校に通っているということぐらいしか明かしていない。当然葵のことも話していなかった。 祐生とこんなやりとりをするたび、自分の判断が正しかったのだと感じる。同性の幼馴染に長年片思いをしているなんて事実は間違いなく祐生を喜ばせる。妙に首を突っ込んでこられたり、からかわれるのは御免だ。葵を連れてこいなんて言い出しかねない。

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