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act.8月虹ワルツ<149>
再会してから葵は離れていた時間を埋めるようにあらゆる出来事を話して聞かせてくれた。でも葵が選ぶのはどれも楽しい思い出ばかり。本当に話すべきことを意図的に避けているように感じていたが、今の反応を見る限り、それは遥の思い過ごしではなかったようだ。
黙って俯いた葵の視線をこちらに向け直すために、遥はベッドに投げ出された葵の脚に手を伸ばす。
捻挫したという左足はくるぶし周辺にまだ内出血の名残が浮かんでいる。大分薄れてはいるが、両足首をぐるりと囲むように付いた擦り傷は拘束された証。そこをゆっくりと指でなぞると、葵はシーツを蹴って足を逃がした。
「お兄ちゃんと話したよ?」
「知ってる。でも、それでここ落ち着いた?」
遥が胸元をノックするように叩くと、葵はまた視線を落とした。
あの夜の恐怖を吐き出し、泣きじゃくった話は冬耶から聞いている。応急処置にはなっただろうが、心に刻まれた深い傷が完全に塞がるわけがない。遥の視線を避ける仕草はそれ以上の詮索を拒絶するように思えた。
「今日は楽しい話だけしたい」
「どうして?俺は葵ちゃんと色んな話をするために帰って来たのに」
葵の意向は出来るだけ尊重してやりたいが、傍に居てやれる時間には限りがある。一ノ瀬の件だけではなく、馨のことについても葵と対面で会話する必要性を感じていた。あまり悠長にはしていられない。
だが内に溜め込みがちな葵の口を開かせるために与えた言葉は、今の葵には逆効果だったらしい。
「……じゃあ話したら、帰っちゃうってこと?」
遥のシャツを握りしめながら遠慮がちに見上げられると堪らない気持ちにさせられる。
「そう来るか。困ったな」
これほど真っ直ぐに恋しがられて拒めるわけがない。不安そうな目を向ける葵を落ち着かせるために額に一つキスを与えてやる。そして葵の腰に腕を回して、その体を自分の膝の上に招き入れた。
正面から向き合う姿勢をとるなり、葵は躊躇いもなく遥の肩に腕を回してきた。またあの甘い香りがふわりと漂う。
「ねぇ、遥さん。ここから登校しちゃダメ?遥さんと離れるの寂しい」
「俺がいいって言うと思う?」
「……平日は外泊しちゃダメって言うと思う」
「正解」
遥が葵の性格を熟知しているように、葵だって遥の言うことはある程度予測出来てしまうようだ。答えが分かっていてもねだらずにはいられなかったところも可愛いし、クイズに当たったくせにむくれる顔も可愛い。
遥だって好き好んで葵と離れたいわけではない。でも遠くない未来、遥の居ない生活を送らせるのだから、自分がフォロー出来るあいだに新しい部屋での生活に慣れさせておきたい。
「また週末、泊まりにおいで。迎えに行くから」
来週いっぱいは日本に居る。その事実に少なからず安堵したのか、葵は遥の提案を素直に受け入れた。
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