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act.8月虹ワルツ<157>

「でも、いつああなるか、分かんないよ」 「じゃあ前はどうしてなっちゃったか思い出してみな。さっきのことでもいいよ」 葵は遥の言葉で素直に記憶を辿り出したけれど、やはり分からないと言いたげに首を振ってきた。本当にちっとも見当が付かないというよりは、眠気で思考力が低下しているのかもしれない。重たげに瞬きを繰り返すのがその証拠。 今これ以上の学習をさせても無駄になるだろう。オレンジがかったランプの明かりを少し弱めてから、遥も葵に寄り添うように横になった。 布団を掛けた時、葵に下着とハーフパンツを履かせてやり忘れたことを思い出すが、まぁいいか、と無視をすることに決めた。遥が貸したシャツは丈の長いものだし、そもそも本人がその事実に気が付いていないのだから。 「ねぇ、遥さん」 葵の首元に腕を差し込んで抱き寄せると、眠りに落ち掛けた声で名を呼ばれる。 「ああいうの、変なことじゃない?おかしくない?」 「誰でもすること、って言っただろ。俺もするから大丈夫」 「……遥さんも?」 異端を怖がる葵の不安を取り除くために告げた事実は、葵の眠気を少しだけ覚ませてしまったらしい。好奇心の滲むまん丸な目がこちらに向けられて、遥は口元を緩ませた。 「するよ。皆してるんだから、葵ちゃんも覚えないとな」 遥への好奇心を軽く受け流し、葵自身の課題へと意識を戻させる。一応はがんばるという返事が返ってきたが、やはり自信はなさそうだ。また練習に付き合うと告げてやってようやく葵は安心したように目を瞑った。 「冬耶、耐えられるかな」 規則的な寝息を耳にしながら、遥はぽつりと友人の名を溢す。 性的なものに触れさせたくないという冬耶の気持ちは理解していた。馨がそういった類の虐待を施してきた可能性があるという意見にも賛同する。でも自慰すらまともに教えない状態はどう考えても健全ではない。 京介が教えているだろうからとあえて冬耶に指摘はしてこなかったが、現実を知ってしまった以上は彼に注意すべきだろう。葵に指導する役割も担わせたほうがいい気がする。きっと彼は遥がこうして触れた事実も簡単には受け入れられないだろうから。 でも体だけ淫らに育ってしまった可愛い弟と対峙して、免疫のない冬耶の理性は耐えられるだろうか。葵を傷つける真似は何があってもしないはずだが、彼が自分に許す範囲以上の触れ合いをしてしまった場合、あとでとてつもない自己嫌悪に陥りそうな気がする。 「まぁ、それがいいきっかけになるかもしれないけど」 遥がどう誘導しても鉄壁な兄の顔は崩せなかった。葵本人に崩させるしか手はない気がする。 長い付き合いの中でも見たことのない親友の姿。強力なライバルだと分かっているけれど、出会えるのが楽しみで仕方ない。そうしたら自分も本格的に葵を口説くつもりなのだ。 「覚悟しておくんだよ」 遥は眠る葵にそっと口付けながら宣言してみせた。

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