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act.8月虹ワルツ<158>
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天気予報通り、朝方から降り始めた雨。今日は一日中降ったり止んだり、半端な状態が続くらしい。折り畳み傘を持参していたけれど、遥は大きな傘を差して葵を隣に招き入れてくれた。
朝目覚めた時に自分が下半身に何も身につけていないことに気が付き、昨夜の出来事を鮮明に思い出した。そのせいで葵は妙な気まずさに襲われ続けている。
譲二と一緒に朝食をとった時は良かったが、こうして二人きりになるとまた居た堪れない気持ちが湧き上がってくる。雨に濡れないように意識すると自然に触れてしまう肩。それだけでも、昨日のキスや自分だけが乱れた時間が頭をよぎる。
「あとは一人で行けるよ」
遥の家から一番近い駅に到着すればそこでお別れだと思っていた。でも遥はポケットからICカードを取り出して共に改札に入ろうとしてくる。出来るだけ一緒に居たい気持ちはあるけれど、このままでは心臓が持たない。
「どうせあとで合流するんだし、近くで適当に時間潰してるよ。家ですることもないし」
遥は葵と違って、昨日のことはちっとも気にしていないらしい。いつも通りの笑顔で葵の頭をぽんと撫で、改札の中へと導いてくる。
確かに午後は遥と二人で過ごすつもりだ。葵も遥を見習って、昨日のことは一度忘れてしまったほうがいいのだろう。傘から解放された遥の手を掴みにいくと、褒めるようにギュッと握り返された。
「葵ちゃんが行きたいって言ってたところ、ほとんど野外だったよな。どうしようか」
予定通りの電車に乗り込むと、遥はデートの行き先を相談してきた。天気のことなんて全く考えていなかったから、綺麗な景色が楽しめるところばかりリクエストしてしまっていたのだ。晴れる可能性に賭けたかったけれど、この空模様では考え直したほうがいい。
携帯で何かを調べ始めた遥に倣い、葵も自分の携帯を取り出してみる。すると、新しく二件のメッセージが届いていることに気が付いた。
一件目は爽から。遥が行ってみたいと言っていた有澄のバイト先。せっかく尋ねても彼が不在ならば意味がない。爽経由で有澄にシフトを確認した結果が返ってきていた。
「早乙女先輩、今日は閉店までずっとお店にいるって」
「じゃあとりあえず早乙女のところに行ってみようか」
遥は有澄が勤める店そのものにも興味を示しているようだったが、有澄に会えることを何より喜んでいるように見えた。
遥の一番の仲良しは冬耶で間違いないけれど、親しい同級生は沢山存在している。その筆頭が有澄だと葵は思う。彼のいる図書館によく連れて行ってくれたし、そこで遥は有澄といつも楽しそうに会話をしていたからだ。
「遥さんは早乙女先輩の連絡先、知らないの?」
「知ってるけど、どうして?」
「直接聞けたんじゃないかなって思って」
爽は迷惑だなんて思わないだろうけれど、彼を経由する必要はなかったのではないかと感じてしまう。
「俺が連絡したら行くってバレちゃうだろ。あ、もしかして言っちゃった?」
「誰と行くかは言ってないけど、でも遥さんが帰国したってことは爽くんが話しちゃってるかもよ」
「あぁ、そっか。口止めしておけばよかったな」
葵にとっては絶対的に頼りになるお兄さんなのだけれど、変なところで子供っぽい。昨日から何人驚かせたら気が済むのだろう。
悪戯好きな冬耶を止める役割は大抵遥だったのだけれど、時折全力で乗っかっては周囲を驚かすのが好きだった。彼らが卒業したあと、子供みたいにはしゃいで笑う二人の姿が学内のどこにも存在しないのだと実感した時が一番寂しさを感じたかもしれない。
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