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act.8月虹ワルツ<161>

葵が選んだのは海外の子供向けファンタジー小説が原作のアニメーション映画。公開から少し時間が経っていることもあって満席とはいかないものの、家族連れで多くの座席が埋まっていた。 自分たちが選んだ席を見つけて腰をおろすなり、京介は後ろを振り返って声を掛けた。 「見えますか?」 「あぁ、お気遣いありがとうございます。大丈夫ですよ」 母親の言葉と、子供が座高を高くするためのクッションに座っているのを確認して、京介は前に向き直った。でも少しだけ座る位置を調整して、座席に低く沈み込んだのが分かる。 京介は普段子供が多く集まる映画に全くといっていいほど付き合ってくれないし、葵の趣味をガキっぽいと笑ってくる。京介がよく観ているのは爽快なアクションシーンのある映画だから、単純に好みの問題だと思っていた。けれど、今のやりとりで長身の京介がこの空間では肩身の狭い思いをさせられるのだと理解した。 学園の中では喧嘩が強いという噂ばかりが先行して京介を恐がる生徒も多いが、葵にとってはやはり優しい存在。 「京ちゃん、ありがとう。今日一緒に来てくれて」 「俺が誘ったんじゃん」 本編が始まる前の予告が流れ始めるのを横目で見ながら、葵は声をひそめて京介に今日の礼を伝えた。確かに誘ったのは京介だが、葵の好みに合わせようとしてくれたのが嬉しい。 「次は京ちゃんの観たい映画に行こうね」 戦うシーンや大きな爆発音が出てくる映画は苦手だ。京介が小さい頃好きだった戦隊モノのテレビ番組も、一緒に観て楽しむことが出来なかった。でも京介が付き合ってくれたのだから、自分だって京介に寄り添いたい。 「次っていつ?」 「それは、京ちゃんに観たい映画が出来た時」 「じゃあ来週」 予想外に早くて驚いた顔をすると、すぐに“冗談”と返された。でもそれを真に受けて流していいものか、判断が難しかった。 恐らく京介は葵を“特別”に好きでいてくれている。その対象が葵だけなのか、それとも沢山いるうちの一人なのかは確かめられなかったけれど。 ホール内の照明が一段と暗くなり、いよいよ本編が始まるのだと分かる。正面に向き直ると、膝の上に置いた手を大きな手が包み込みこんできた。互いの指を絡めるように手を動かせば、強く握り返される。 映画鑑賞は好きだけれど、シーンによっては真っ暗闇に近い状態に陥ることがある。以前それが少し怖いのだと打ち明けた時も、京介は“だったら家で観ればいいのに”なんて笑ったけれど、覚えてくれていたのだと思う。 主人公の少年が冒険するのは不思議なもので溢れた世界。そのほとんどが少年を優しく受け入れる美しいものばかりだけれど、物語の中盤に差し掛かると醜い心を持ったキャラクターも登場してきた。 少年が彼らに怖い目に遭わされるたびに肩をびくつかせ、京介の手をきつく握り締めると、隣からフッと笑う声が溢れるのが聞こえる。でも同時に宥めるように手の甲を指で摩ってもくれる。 意地悪なことは言うけれど、京介はいつだって葵を見離さずに傍に居てくれた。葵だって京介のことを“特別”に好きだと思う。でもきっとそれは遥が沢山悩んだ末にいつか見つかると教えてくれた答えとしては十分ではないのだろう。 物語の最後で少年は元居た世界に戻ることを諦め、大切な人と共に不思議な世界での冒険を続けることを決心していた。とても大きな決断のはずなのに、その目に迷いは全くないように見えた。 フィクションとはいえ、葵よりも幼い年齢の少年だって答えを見つけたことに焦りを感じてしまう。どのぐらい悩んだら分かることなのだろう。 あれほど楽しみにしていた映画だったというのに、エンドロールが終わったことにもしばらく気が付けないほど、葵の頭は“特別”についての悩みで埋め尽くされていた。

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