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act.8月虹ワルツ<164>
「そんなに連れて来たいなら止めないけどさ、まさか葵ちゃんをそのまま同伴させるつもりじゃないよね?」
月島と藤沢の家は忍の家とのような近しい関係にあるわけではない。だが、来賓の全てがそうとは限らない。“藤沢葵”という名前を聞いて、馨の息子だと気付く人間がいないとは言い切れない。忍だってそれは分かっているはずだ。
「俺の親戚として紹介する」
「それはそれで興味を引くと思うけど」
忍が牽制をかければ、その場であからさまに葵を詮索されることは確かに無いかもしれない。北条家の長男という肩書きだけでなく、高校生にも関わらず高貴な立ち居振る舞いと独特の威圧感を身につけた忍には大抵の大人が太刀打ち出来ないだろう。
「あとでどんな噂が立つか楽しみだね」
「本当に親族になる可能性だってあるんだ。既成事実を作るという意味でも、俺にとっては悪くない話だ」
したり顔で笑う友を見て、そういえば彼は葵を嫁に貰う気でいるんだったと思い出した。葵を藤沢家から保護すると言う建前で北条家に招き入れることを考えているのだ。彼は一見堅物そうな見た目からは想像出来ないほど馬鹿になる瞬間がある。
「楽しい想像してるところ悪いんだけどさ」
櫻はそう前置きして、楽譜を並べている棚から一枚のCDを取り出し、席に戻った。幼い頃の葵の写真がジャケットに使われているそれは、連休中に恵美から借りてそのままになっていたものだった。
「どこからどう見ても、葵ちゃんそのものだよ」
「だが、これはもう廃盤になっているものだろう?それに元々の流通量だってそれほど多くはないと聞いたが」
「都合のいい情報にしか目を向けないなんて、忍らしくない」
忍の言うことは確かに事実ではあるが、それが全てではない。恵美はヒーリングミュージックのジャンルとしては異例の売り上げを記録したと言っていたし、全部で八枚あるCD全てにプレミアが付いているらしい。
いくら海外の市場をターゲットに作られた作品とはいえ、恵美のように国内でも所持している者は他にもいるはずだ。それに、そもそも月島家の演奏会には音楽に関心の高い海外からの客もやってくる。
櫻が指摘すれば、勇み足の自覚があった様子の忍は眉根を寄せて気難しい顔に戻ってしまった。
「それにさ、ここ見て」
ダメ押しとばかりに櫻はジャケットをケースから取り出し、裏面に記されたクレジットのスポンサー欄を指差す。
「“Yoshiro Meguro”。これってあの目黒のことか?」
「そう、あの目黒。本人に確認したから間違いない」
毎回櫻が演奏をする場には必ず現れる実業家の男の存在は、忍も認識している。櫻への異様に熱のこもった視線に気が付いて、警戒を促してくれたこともあった。だから櫻が既に目黒と接触して事実確認を行ったと知って、すぐに咎めるような目つきになる。
「その話、初めて聞いたが?」
「うん、今初めて言ったからね」
平然と言い返せば、忍はあからさまに溜め息をついてみせた。
「葵ちゃんのこと、よく知ってるみたいだった。当時葵ちゃんの身の回りで起きたことも」
忍が何かしらの説教らしき言葉を発するより先に、櫻は先手を打って目黒から引き出した情報を伝える。忍は納得いかない様子ではあったが、諦めたように会話に乗ってくる。
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