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act.8月虹ワルツ<165>
「会わせるわけにはいかないな」
目黒は次の演奏会にも絶対に現れる。幼い頃の姿しか知らないとはいえ、こちらを微笑むお人形のように愛らしい葵と今の葵をリンクさせることは容易いだろう。髪色も瞳も特徴的な上に、成長しても顔立ちはまるっきりそのままなのだから。
「まぁ、アイちゃんに深入りしないほうがいいって言ってきたぐらいだから、葵ちゃんを見つけても接触するとは限らないけど」
「……目黒はなぜそんなことを?」
「アイちゃんに関わると不幸になるから、だって」
その言葉のあまりの理不尽さに激昂したことを思い出しながら打ち明けると、向かいに座る忍からも瞬時に怒気が滲むのが分かる。幼い葵が両親からだけでなく周りにいる大人からも酷い扱いを受けていたと、察してしまったのだろう。
「分かった、葵を連れて行くのは諦めるよ」
降参と言いたげに眼鏡を外しテーブルに放る姿は、自信満々に君臨する学園の王の風格が窺えない。
葵と連れ立って演奏会に訪れる可能性をなんとか探りたかったのだろう。己の迷いや悩みを打ち明けるなんて真似を嫌がる彼が、わざわざ櫻の部屋を訪ねてまで相談してきたのだ。別の場所でデートすればいいなんて軽口をもう一度言おうものなら、本当に怒らせてしまいそうだ。
「葵ちゃんが変身でも出来れば良かったんだけどね」
だから櫻は忍の思いを汲みながら、非現実的なことを言ってその場を収めようとした。だがその発言は忍にとって思わぬヒントになってしまったらしい。
「そうか、何も葵をそのままの姿で連れて行く必要はなかったな。どうしてこんな簡単なことを思いつかなかったんだ」
「……なんかしょうもないこと考えてる?」
やはり彼は時々おかしくなる。由緒正しき名家の長男として生まれ、家庭の問題とも無縁の環境でスクスク育った彼は、常識的に見えてもやはり苦労知らずのお坊ちゃまだと思わせる一面があるのだ。
「以前臣に被らせたウィッグがある」
「あぁ、あの野暮ったいやつ?」
彼が弟に買い与えたウィッグのことは櫻も覚えていた。北条家が主催するパーティーの前日に、あろうことかショッキングピンクに髪を染めてきた弟をどうすべきか。
いつもなら大好きな兄の言葉を素直に聞く臣が、この時はせっかく綺麗に染まった髪を元に戻したくないと頑なにごねたらしい。そして妥協点を探った結果、一日だけ黒髪のウィッグを被らせることで決着がついたのだと聞いていた。
途中で暑いと言い出して会場のど真ん中で外してしまったから、その作戦は結果的に大失敗だったのだけれど。パーティーに顔を出していた櫻にとっては愉快な余興だった。
「あれならまぁ前髪も長めだったし、瞳も誤魔化しやすいかもね」
「あぁ、縁の太い眼鏡を掛けさせてもいいな」
忍は己の眼鏡を手に取って掛け直しながら思いついたことを口にする。そんな眼鏡を掛けさせたら、ますます野暮ったい姿になることは間違いない。
「で、葵ちゃん本人にはどう説明してその格好させるわけ?」
「俺の親戚のフリをさせるんだ。そのために必要な変装だと言えば、疑問は持たないだろう」
もうすっかりその気になってしまったらしい。忍は自信満々に言い放つ。確かに他の誰かならともかく、素直な性質の葵なら忍の言うことを受け入れるに違いない。
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