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act.8月虹ワルツ<170>

葵が部屋を移る予定の日にしっかりデートに誘っていた京介。恐らくは葵を引き止めるとか、もしくはきちんと告白するとか、そういったアクションを取るつもりだったのだろう。 だが、ランチ後に合流した二人からは変わった様子が見られなかった。人前でのスキンシップを嫌がる京介が珍しく手を繋いでやってはいたが、特別な何かがあった雰囲気は感じ取れなかった。 午後の予定を遥が押さえてしまったせいで思うようなアプローチが出来なかったのだろう。踏ん切りがつかない性格はあの兄弟の共通項な気がしてしまう。 「京介って、魔王の弟くんだっけ。たしかに彼っぽいデザインかもね」 有澄の目から見ても京介のイメージに合うものらしい。京介が図書室に着いてくることはほとんど無かったから、学園の噂ごとには一切関心を持たない有澄が京介のことをきちんと把握しているのは少し意外だった。 「世捨て人の早乙女でも、京介のこと認識してるんだ」 「俺のことそんな風に思ってたの?まぁあながち間違いではないけどさ」 俗世から離れているという意味で使った表現を、彼は苦笑いしつつも満更ではない様子で受け入れた。 「あれだけ目立つ子、意識しなくても視界に入ってくるって」 京介自身はあまり自覚がないようだが、彼は冬耶の弟としても、喧嘩の強い不良生徒としても学内では注目を集めがちな存在だ。そもそも、有澄の言う通り、まずあの長身が目を引く。いつの時代も、彼は周囲の同級生から頭が飛び出ていたように思う。 「本以外に興味ないと思ってたから。だからあの双子くんたちに入学勧めたって聞いて、正直驚いたし」 「そう?どう見えてたか知らないけど、これでも毎日楽しかったよ」 自由に過ごしていたことは知っているが、愛校心が強いタイプではないと思っていた。それこそ、従弟である聖と爽を招くほどいい学校だと感じているなんて。でも冬耶と共に作り上げてきた環境を褒められた気がして、嬉しくもある。 「実際聖ちゃんと爽ちゃん、桐宮に呼んで正解だったと思ってるよ。あんなに楽しそうに誕生日過ごしてるの初めて見たし。学校での話もよくするようになった。藤沢ちゃんのおかげだね」 有澄は熱心に商品を眺め続けている葵に視線を投げながら、目を細めた。 「早乙女が従弟思いなのも知らなかった。そういう話、全然しなかったもんな」 「それ、相良が俺に興味なかったのもあるんじゃないの?」 「……たしかに」 有澄の姿勢に問題があると思っていたけれど、彼の言い分も一理ある。遥があっさり納得すると、彼は“認めちゃうんだ”と笑って席を立った。 幼稚舎から高校までストレートで進学した付き合いの長い者同士だというのに、互いのプライベートな部分に踏み込んだ話はほとんどしてこなかった。それに遥は葵を受け入れてくれる無害な上級生としての有澄を求めていたのだと自覚する。 有澄が姿を消した店の奥から、水を注いだり、ガスコンロのつまみを回したりする音が聞こえてくる。お茶でも淹れてくれるつもりなのだろう。遥は彼が戻ってくるまでのあいだ、店の中を見て回ることにした。 一見雑多なアイテムが並んでいるように見えて、一つ一つをよく観察するとどれも質もセンスもいいものだと感じる。特に遥の目を引いたのは、イギリスで購入したというメモ書きが添えられた陶器のケーキプレート。アイボリーの皿に柔らかなライトブルーのドット柄が浮かんでいる。

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