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act.8月虹ワルツ<173>

* * * * * * “たまにはお友達と遊んでおいで” まるで子供に言い聞かせるように告げられた言葉。 大抵どこへ行くにも穂高を連れ添わせたがるというのに、今朝は珍しく馨から置いてけぼりを喰らった。普段はプライベートな時間などほとんど無いに等しいのだから喜べばいいのかもしれないが、どうしても不穏なものを感じてしまう。 つい最近も彼は穂高の目を盗んで葵の制服を仕立て、手紙まで送りつけたのだ。また何か企んでいると思うほうが自然だ。だが、あからさまに不審がって探るような真似をすれば、それこそ馨の思惑通りになる気がする。 だから穂高は黙って頷き、馨の住むペントハウスを出て、近くのマンションに借りた自室に下がったのだった。 最上階のワンフロア全てを自分好みに誂えた馨の家とは違い、穂高の住む部屋はごく普通の1LDKだ。立場上セキュリティがしっかりしているところを選んだため決してランクの低い物件ではないはずだが、必要最低限の家具しか置いていない室内を見た馨には“独房みたい”と眉を顰められてしまった。 毎日忙殺されているせいで部屋にはほとんど寝に帰っているような状態。だから特に気にしていなかったが、改めて自室を眺めると生活感というものに欠けている気はする。牢獄扱いされるのも多少は致し方ないと思えてくる。 娯楽の類が一切ない部屋は自宅というよりオフィスという表現が似合うかもとも思ったが、穂高が拠点を置いている秘書室はここよりずっと華やかだ。 指示をしたわけでもないのに、部下たちは率先して花を飾ったり、取引先から贈られた菓子類を可愛らしい器に入れ替えて並べたりしている。休日であっても家よりオフィスで仕事をしたくなるのは、彼女たちが居心地のいい空間を作っていてくれるからなのかもしれない。 夜の間に方々から届いていた連絡を打ち返し、家事を済ませるだけで午前中は簡単に終わってしまう。ただ腹を満たすためだけの昼食を終えた穂高は、これからどうやって時間を潰せばいいか分からずに途方にくれた。 このまま家で空虚な時を過ごすよりは、出掛けてしまうのも一つの手だろうか。まるで穂高の背を押すように、朝から薄暗かったはずの空が少しずつ明るさを取り戻している。雨足が弱まってきたのだろう。 悩んだ末に、穂高は身支度を整えて家を出ることに決めた。休日という概念のない穂高には、カジュアルな服の持ち合わせもない。いつも通りジャケットを羽織って、車の鍵と財布、携帯だけを持って家を出た。パソコンや手帳を持たずに出掛けるのは久しぶりだ。 マンションの駐車場を出て一般道に出ると、少し離れた場所に薄汚れた車が一台停まっていることに気が付く。富裕層が多く住むこのエリアでは明らかに不審な印象を抱かせる。その車の主には心当たりがあった。 今朝馨の家に向かう際にも、一定の距離を保って着いてきていた。穂高がまた出掛ける可能性に賭けてあれからずっと張っていたなんて、随分暇なようだ。だがそれは自分も同じ。自嘲気味に笑うと、追跡を確認しながらアクセルを踏み込んだ。

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