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act.8月虹ワルツ<181>

葵の部屋ではすでに京介が荷造りを始めてくれていた。彼は都古が同室での暮らしを拒絶していると知ったらどう思うのだろう。京介ならきっと何でもない顔で受け入れる気はするが、もし葵が京介の立場ならショックを受けるに違いない。 「生活雑貨類はここに詰めておいた。本はあっち。服はまだ手付かず」 積まれたダンボールを指差しながら、京介は荷造りの進捗を手短に共有してくれる。物が少ないほうだとは思っていたが、こうして何もなくなったキッチンやリビングを見渡すと、随分色々な物で彩られていたのだと思い知る。 この部屋で過ごした時間はたった半年程度だけれど、沢山の思い出が詰まっている。冬耶と遥が用意してくれた部屋に移ることが嫌なわけではない。大好きな先輩たちとより近い距離で生活することが楽しみでもあった。 けれど、ガランとした部屋と対面すると無性に寂しさが込み上げてくる。京介と都古まで別々に生活し始めるかもしれないと思ったら余計だ。 「おいで、葵」 何の返答も出来ずにいると、そうして手招かれた。フローリングに直接腰を下ろしていた京介の前に立てば、彼は自分の膝をポンと叩く。甘えていいという合図だった。 誘われるままに温かい腕の中に潜り込む。何度この場所で涙を溢し、慰められたか分からない。 「やめる?それでもいいよ」 ここまで準備を整えられて臆するなんて子供だと笑われると思っていた。それなのに京介は葵に逃げる選択肢を与えてくれる。今甘やかすような言葉を言わないでほしい。首を横に振ってみるが、強がりを見透かす目が向けられる。 「平気、がんばれる」 「こんな格好しといて?」 確かに京介にしがみつきながら言っても説得力がないかもしれない。 今日のランチの合間にも、ほんの雑談の一つのような流れで京介から確認された。本当に一人部屋で過ごせるのかと。その時は明るい調子で大丈夫だと笑って返事が出来た。でもなぜか今は笑顔が浮かばない。 「強くなりたいから」 「お前にとって強くなることって、一人になることなの?」 葵が口にした決心は、京介にあっさりと揺さぶられる。そう尋ねられると答えに窮する。一人になりたいわけではない。それが強さの証とも思わない。けれど、こんな風に抱き締められなくても自分の足で立ち続けられるようにはなりたい。 「がんばれって言ってほしい。そしたらがんばれるから」 彼の腕に縋りながら言う台詞ではないことぐらい分かっている。それでも京介には背中を押してもらいたかった。でも返ってきたのは想像していない言葉だった。 「言いたくないっつったら?」 いつもの意地悪とか冗談の類だと思った。けれどこちらを覗く茶色い目は真剣だった。葵に頑張ってほしくないということなのだろうか。いつだって葵に寄り添ってくれた京介から、いきなり突き放すようなことを言われると頭が真っ白になる。 「馬鹿、ちげぇって。なんでそう悪いほうに受け取るんだよ。お前が無理してパンクすんの、何回見てきたと思ってんの?」 だから葵の強がりを促すようなことは言いたくないのだと、京介は呆れた顔で告げた。身に覚えがありすぎる指摘だった。そのたびに彼には迷惑ばかりかけてきたのだ。 「まだここに居りゃいいじゃん」 まるで小さい子供をあやすかのように、京介は葵を抱きすくめたまま頭を撫でてくる。ずっとこうして甘やかされていたい。そんな思いが否が応でも湧き上がってきて止まらない。 けれど、こちらの様子をジッと眺める都古の視線が葵を冷静にさせる。 葵が黙って首を横に振れば、京介からは深い溜め息が溢れた。でもそれ以上葵を引き止めるようなことは言わなかった。

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