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act.8月虹ワルツ<182>

寝不足気味の都古をベッドに寝かしつけると、葵は京介と共に引越し作業の続きに手を付け始めた。 クローゼットから出した服を畳んで床に積んでいくと、京介がそれを端からダンボールに詰めてくれる。これといった会話もなく黙々と手を動かしながら、葵は先ほどのやりとりを振り返っていた。 もしあの場で都古からも引き止められるようなことを言われれば、自分は間違いなく引越しをやめたいと口にしていたと思う。でも都古は何も言わなかった。 今だけではない。引越しが決まってから、あれほど寂しがりで、生徒会の活動に向かうのすら嫌がる都古が一度だって反対するような言葉を発していない。 その理由はやはり京介と同部屋が嫌だから、なのだろうか。そう考えたら、葵だけの願いで三人で過ごすことを続けたいなんて言えそうになかった。 ハンガーに掛けていた服の全てを畳み終え、葵が次に手を伸ばしたのは靴下や下着を入れた引き出し。元々綺麗に並んでいるそれらはただそのまま外に出せばいいだけ。すぐに引き出しを空っぽにした葵は冬物を仕舞い込んだ衣装ケースに取り掛かろうとする。だが、それは京介によって止められた。 「なぁ葵、これ何?」 京介が手にしていたのは黒い下着。最初は何を指摘されているのか分からなかったが、それを放り投げられて理解する。普段身につけているボクサー型のものに比べて圧倒的に布面積の小さなそれは、以前保健室から拝借したものだった。返さなければと思っていたが、そのタイミングを見失い、結局今の今まですっかりその存在を忘れていた。 「えっと、これは前に保健室で借りて、返すの忘れてたやつ」 布団を被っていたはずの都古まで体を起こしてこちらを見つめてくる。二人の鋭い視線を受けながらも、葵は素直に事の経緯を説明した。でも彼らは納得するどころか、ますます険しい顔つきになる。 「そもそもなんで借りる羽目になったわけ?」 京介に問われて、馬鹿正直に答えずにもっと違う言い訳で誤魔化せば良かったと後悔する。でも葵の嘘をすぐに見抜いてしまう二人相手では、それも無意味な抵抗だったのかもしれない。 「保健室で起きたら、下着履いてなかったから借りるしかなくて」 「は?いつの話?」 「上野先輩に久しぶりに会えた時のこと」 あの日の出来事を口にするは憚られて情報を小出しにしてみるが、結局は問い正されてしまう。 「……それ、いつ?」 「お前が謹慎中の話。こいつが体育の授業中ぶっ倒れてたのを幸樹が見つけて運んだって聞いてたけど、違うみたいだな」 心当たりがないと言いたげに眉をひそめた都古へ、京介が補足してみせる。 確かに幸樹と出会ったのはグラウンドではなく温室。意識を飛ばしたのは具合が悪くなったからではなく、再会した幸樹とキスとそれ以上の仲良しの行為をしたから。 あの日の朝、謹慎から戻ってくるまで都古のことは忘れろと言われたし、忍の部屋に遊びに行くのも止められた。だから幸樹と仲良くしたことを知ったらまた怒られる気がして、言えないままでいたのだ。まさかこんな形で暴かれるなんて思いもしなかった。 京介だけでなく、都古まで機嫌が悪くなった空気を察してもっと早くに保健室に返しておけばよかったと後悔する。 「借りたって、まさか橘に着せられた?」 「ううん、先生は居なかったよ。七ちゃんが保健室の中探して見つけてくれたの」 「……つーことは、七瀬は知ってたってことな」 保健室の主は無関係だと話せば彼らは揃って表情を和らげたが、今度は七瀬に矛先が向いてしまいそうだ。でもそれは葵の杞憂だった。彼らはこの問題の大元に興味があるらしい。

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