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act.8月虹ワルツ<191>

「俺のこと何もかも未経験の童貞だと思ってる?」 「まさか。ただ幸樹くんって慣れた子しか抱いてこなかったイメージだからさ。バージンなんてめんどくさいって言って避けそうだし、後腐れない関係が好みだろうし?」 ということは、今の相手がこうした遊びに不慣れだと想定しているようだ。確認をせずとも、それが誰かも具体的にイメージしているのだろう。つくづく食えない男だ。 京介のことだけでなく、幸樹のプライベートにも踏み込んでみたかったのだろう。 「何も知らない子を開発するのって楽しいよ」 「ご丁寧にどうも」 ウブな子に手を出す楽しさはもう十分体感している。キスだけで顔を真っ赤にして恥ずかしがるのを宥め、少しずつ衣服を剥ぎ、肌に触れていく。一気に貫いてしまうのではなく、許容範囲を徐々に広げさせ、可愛く泣かせることでしか得られない満足感があることも知っている。 「開発成功したら俺にも味見させて?」 「女好きが何ゆーてんの?」 男もイケるのかどうかは知らないが、少なくとも幸樹が見てきた限り、祐生の相手は女性しか知らない。 「へぇ、じゃあ幸樹くんの今のパートナーは男の子なんだ。大丈夫、俺バイだから。美人ならどっちもイケる」 「……なぁ、本当に反省してんの?」 鎌を掛けるような発言に怒る気力も湧かない。よくこの調子で短気な京介を相手に一年もバイト先の店長としてやってこれたものだ。いや、彼のことだから相手を選んでコミュニケーションの仕方を変えているのかもしれない。 “京介と葵くんによろしく”なんて笑う祐生に見送られ、幸樹は店を後にした。この店を訪れる前は、まさかいかがわしいアイテムを山ほど持たされて帰るだなんて思いもしなかった。 これ以上オーナーと従業員という枠を超えた絡み方を京介にしないという言質はとったが、約束が果たされるかはやや不安だ。あの様子から察するに、彼の目的は京介ではなく幸樹ではあるだろうが。 元来た道を戻ると、さっきは臆することなく話しかけてきたキャッチの男性が姿を隠すのが分かる。どんな話を聞かされたのかは分からないが、こんな反応も珍しくはない。 幸樹を平気で邪険に扱う同級生が集う生徒会室のほうがよほど居心地がいい。出会った時からタメ口で睨みを利かせてきた京介も、対等に掛け合いを楽しめる祐生の存在もそう。 そして何より先輩の一人としてではあるが、好きだとはっきり言葉と態度で示してくれる葵の存在に、乾いた心が満たされている。愛しい相手の顔を浮かべながら帰り道を急ぐなんてまっとうな人間らしい感覚も、葵が与えてくれた。 早く帰ろう。 歩くテンポを上げれば、幸樹のことを遠慮がちに観察していた周囲の人間が途端にビクつくのが分かる。でも幸樹にとっては風がそよぐぐらい些細なことに思えた。

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