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act.8月虹ワルツ<193>

相変わらず幸樹の部屋で座るところはベッドしかない。湯を溜めてくると言って幸樹が浴室に消えてしまうと、身の置き場に困った葵は結局マットレスに腰を下ろした。 何もない部屋で目を引くのは、幸樹がさっきまで手にしていた黒い紙袋。袋自体にロゴやイラストは入っておらず中身の予測がつかないが、床に置かれた際の音でそれなりの重量があることは分かる。 「ん?これ気になる?」 戻ってきた幸樹が葵の視線に気が付き、袋を持ち上げた。 「お買い物してきたんですか?」 「まぁそんなところ。中身は追々紹介してくわ」 これからの季節に身に着ける服や靴なのだろうか。そんな予測を立てて頷くと、幸樹はなぜか面白いものでも見るかのような視線を向けてきた。 「今日は何して遊んだん?」 ごく当たり前のように葵の背後に座ってすっぽりと抱え込んでくる幸樹の腕に身を任せながら、葵は朝からの出来事を話して聞かせる。 京介と映画を観に行ったあと昼食にハンバーガーを食べたこと。遥と合流して新しい帽子を買い、有澄の働くアンティークショップを訪れたこと。 おしゃべりは得意ではないけれど、幸樹が先を促すように節々で相槌を打ってくれるから比較的上手に話せたとは思う。 でも葵の休日の様子など、幸樹には退屈な話題ではないだろうか。引越しを終えたところまで話した葵はふと不安になって後ろを振り仰ぐ。すると、いつも通りの笑顔が返ってきた。 「楽しかった?」 大好きな人たちと過ごした休日が楽しくないわけがない。葵が頷くと、“良かった”という温かい声が降ってきた。 「上野先輩は何してたんですか?」 「んー、色々あったな。ちょっと疲れたかも。お兄さんのこと癒してくれる?」 先輩からこんな風に甘えられる機会は珍しい。葵の肩に顎を乗せ、回した腕に力を込められると、彼のために何かをしたいという気持ちが湧き上がる。でも具体的なことが思いつかない。 都古を甘やかす時のように抱き締め、頭を撫でてあげればいいのだろうか。そう思って体を反転させようとした時、ちょうど浴室のほうから湯が溜まったことを知らせるメロディが聞こえてきた。 「先に入ってください。ここで待ってるので」 葵がこの部屋に留まることになってしまうのは気が引けるが、疲れているならそのほうがいい。でも幸樹は不思議そうな顔で葵を見つめ返してくる。 「一緒に入るんちゃうの?そのつもりでおったんやけど」 「あ、えっと……すみません、一人でって思ってました」 シャワーを浴びさせて欲しいと頼んだだけで、一緒に入ろうと言った覚えはない。勘違いさせたことを詫びてみるが、幸樹は改めて葵を誘ってきた。 「お兄さんと一緒は嫌?いっつも一人?」 「いつもってわけじゃないですけど……」 昨日は遥と、その前は毎日のように都古と入っていた。口ごもった葵の様子でそれとなく事実を察したのだろう。幸樹はますます体を密着させてくる。

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