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act.8月虹ワルツ<206>
「一応確認するけど、彼女作る気ないんだよな?」
「当然」
出会ったあの日からずっと葵に恋をしていることぐらい、遥だって知っているはずだ。即答すると今度は呆れた顔が返ってきた。
「それならちゃんとそれらしい態度とれよ」
「そう言われてもな」
学園生活でも特別な関係を望まれ、迫られた経験はある。でも冬耶はいつもそれなりの立場に居たし、例えどんなに華奢な体躯をしていても、可愛らしい顔をしていても相手はいずれも男性だ。聞き分けのない場合は多少痛い目に遭ってもらうことも出来た。
だが、この大学では冬耶はただの一般生徒だし、声を掛けてくるのは圧倒的に女性が多い。さすがに異性相手に強引な手は使えない。変に騒ぎ立てられることになれば、冬耶が悪者にされる可能性も高いからだ。
遥は幼い頃から女性スタッフや客の多い父親の店に出入りしていた。好意を寄せられ、告白を受けた経験もあることは知っている。冬耶よりは異性の扱いがうまいことは間違いない。だからだろう。冬耶が言い訳をしてみても、納得してくれそうになかった。
遥とは帰国してからまだ二人でゆっくりと会話する時間が取れていなかった。だから彼もこうしてわざわざ足を運んで来たのだろう。銀杏並木を抜けた先にある図書館の脇を通り、冬耶は車を停めている駐車場へと相棒を導いた。
「午後は授業ないの?」
「三限は空きコマ。外で何か食べよう」
ポケットに忍ばせていたキーのボタンを押すと、駐車場の中で一際目立つ赤い車体からロックが解除された音が響く。
「なんでこんな派手なの選んだのかね。二人しか乗れないし」
明らかに気乗りしていない顔で遥が助手席の扉に手を掛ける。この車を譲り受けた経緯を知っている遥は、これ以外の選択肢があったことも把握していた。
「遠くからでも“お兄ちゃんの車”ってすぐに分かるだろ?大人数の場合は父さんに借りればいいしさ」
実際土曜に葵の顔を見に行った時は京介や都古を引き連れて西名家に帰ることも想定していたから、平日は主に陽平が使っているミニバンを借りた。
「あぁそう。じゃあ早く葵ちゃんとのデートに使えたらいいな」
遥の言葉で葵を初めてこの車に乗せた時のことを思い出す。若葉の腕に抱えられた葵の姿を見つけた時の絶望感は、この先何があっても忘れられないと思う。
「ん、これ何?」
「あぁごめん。後ろにでも投げておいて」
遥は冬耶の指示を聞かず、助手席のシートに乗せたままのビニール袋を遠慮なく開いてみせる。長い付き合いだからこそ許される行動だ。
「例のパーカー?いつでも返せるようにって乗っけてるの?」
遥に確認され、そういえば彼には昨夜の出来事を伝えていなかったと気が付いた。
深夜若葉が現れたという知らせを受け、この車を飛ばして学園に向かった。望み通り接触は得られたが、成果があったとは言い難い。でも彼の第一の目的が冬耶ではないということが確認出来た。
打ち負かしたくて仕方ないはずの相手が目の前に現れても、以前までのような敵意を剥き出しにすることはない。冬耶の大切な存在を玩具にするほうがよりダメージを与えられると考えている可能性もあるが、幸樹が話していた通り葵そのものに強い興味を持ってしまったようだ。
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