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act.8月虹ワルツ<213>
一階のエントランスに降りて優雅な彫刻の施された特別棟の扉を開けると、上の階を見つめていた波琉が驚いたようにこちらを向いた。
緩く開いた胸元や、捲った袖から覗く腕も顔同様に日に焼けている。小太郎のように野外で活動する部活をやっている生徒なのだろうか。
「……何してんの?」
「あぁ、普通に入っていいか分かんなくて。初めて来たからさ」
聖に棘のある声を出されても、波琉はさして気にする様子はない。それどころか助かったとばかりに表情を和らげた。
生徒会室のある特別棟は表向き一般生徒にも開放している場所ではある。実際、来月行われる体育祭の実行委員や、各部活の部長や会計が提出物を持参したり、ちょっとした相談ごとを持ち込んだりしてくることはある。
だが、ただの一年生が単体で乗り込む理由が分からない。
「用件は?」
「生徒会長に話がある」
「……え、会長のファン?」
校内の至る所で見かける忍の崇拝者と波琉とでは雰囲気が大分異なる。少なくとも彼が忍相手にキャーキャー黄色い声援を送っている姿は想像出来ない。
「まさか。普通に用事があるだけ」
波琉も忍のファンと認識されるのは不本意だったのだろう。一瞬顔をしかめ、冷静に訂正してくる。
一年が忍に何の用があるのか。気になりはするが、波琉はそれ以上の話を聖にするつもりはなさそうだし、聞く権利もない。それにもしも大事な客だったなら、追い返して責められるのは聖。なんとなく気に入らないが、聖は彼を生徒会室へと案内することにした。
「連れて来ましたけど」
聖が戻るまで会議を始めずにいてくれたらしい。波琉を連れて生徒会室に戻ると、視線が一斉にこちらに向く。
中央の会長席に堂々と構える忍もさることながら、両脇を固める櫻と奈央も、やはり役員らしい威厳がある。座席にはつかず、窓枠に腰掛ける幸樹もそう。身近に居ると少しずつ親しみを感じてきたが、一般生徒にとってはやはり次元の違う相手なのだと思う。
波琉が怯んだように一瞬後ずさるのが分かる。
ピンと緊張の走る生徒会室の中で唯一葵だけが訪問者を歓迎するように笑顔を向けている。爽と一緒にスティックシュガーの紙で遊んでいたのだろう。葵の周りに転がるピンク色の小さな星がより平和な空気を醸し出している。
「それで、何か用かな?」
その気が無くても腰が震えそうな色気のある声で、忍が沈黙を破る。隣の波琉は覚悟を決めたように深く息をつくと、一歩前に踏み出した。
「あの俺、一年の百井波琉っていいます」
「あぁ、知っている。成績優秀者の情報は把握しているから」
忍の言葉に耳を疑いたくなった。どう見ても遊び人風のこの波琉という生徒が賢いようには見えない。だが忍に認知されていると知って安堵した様子の波琉が続けた台詞には更に驚かされた。
「今日は生徒会に入りたくて来ました」
「「……はぁ!?」」
それは聖たちが今日相談するつもりだった話だ。ポッと出の波琉に先を越されていいものではない。黙って成り行きを見守っていた爽も、聖と同じように声を上げた。
もちろん、突然の波琉の宣言に驚いたのは聖たちだけではない。爽に寄り添うように並んでいた葵も、櫻や奈央もさすがに目を丸くする。
「これはまた随分面白いことになったな。まぁ、話を聞こうか」
あまり動揺を見せなかった忍は、こうなることをどこかで予測していたのかもしれない。波琉を視線だけでソファに招く様も、随分落ち着いて見えた。
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