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act.8月虹ワルツ<214>

波琉の分のコーヒーまで用意され、予定していた活動そっちのけで彼の話を聞く準備が整ってしまった。気が気でないと言いたげに爽が聖のブレザーの裾を引っ張ってくる。こんな仕草をされると、兄である自分がしっかりしなくてはと思わされる。 「ご存知かもしれませんけど、春の学力テストと中間試験の結果です」 波琉はそう前置きしてスラックスのポケットから二つのカードを取り出し中央のテーブルに並べた。どちらにも彼が総合順位で首位を獲得したことが示されている。 「生徒会の選挙は通常冬に行われる。それは知っているな?」 「はい。でも特例もありますよね」 波琉はそう言って葵に視線を投げた。それを受けた葵が少し気まずそうに肩を竦める。 「たしかに必要があれば臨時で選挙を行うことはある。だが、あくまで特別な対応だ」 「その条件を知りたいです。成績は満たしていると思うので、それ以外にあれば教えてください」 「そもそもなぜ役員になりたいのかを聞こうか」 前のめりになる波琉を落ち着かせ、忍は彼の真意を探る。波琉はそれまでの勢いを失って口籠る様子を見せたが、覚悟したように口を開いた。 「取り繕うのは無駄だと思うので、正直に言います。役員になったら色々な特権があるって聞きました。それが目当てです」 「本当に正直だな」 普通はもう少し綺麗事を口にするものだろうが、波琉は真っ直ぐに忍を見据えて本心を打ち明ける。それがより一層忍や櫻の興味をそそったらしい。彼らが揃って面白いと言いたげに目を細めるのが分かる。 「どうせこれもバレると思うんで言いますけど、俺、奨学金の制度申請してるんです。でもそれだけじゃしんどいんで、生活費もちょっとでも節約したいなと思って」 「なるほど、それで役員に、か」 さすがにこの場で金に困っている理由までは話さなかったが、波琉が何を思ってこんな行動をとったのかは納得がいった。お人好しな奈央や、自らと重ね合わせた様子の葵も波琉を見る目が一層柔らかなものになる。どう考えてもまずい流れだ。 窓際に腰掛け成り行きを見守っている幸樹がどんな顔をしているのか気になって視線を投げると、同情するような苦笑いが返って来た。 生徒会の役員に強く思いを寄せる同級生の存在はある程度チェックしていた。少しでも距離を縮めようと、冬の選挙への立候補を目論んでいる者もいることは知っている。でもこの波琉に関しては全くのノーマークだった。 結果が出たばかりの中間試験のことならともかく、学力テストで一位を取ったことぐらい耳に入っていてもおかしくないのに。 波琉の申し出は一旦保留という扱いになったが、前向きに考えるという忍の言葉が聖の不安を煽った。 「何か言いたいことは?」 波琉を帰す前に忍は聖たちに話題を振って来た。でも学年首位の成績を見せられたあとでは、聖の順位など霞んで見える。常日頃から役員になりたいという思いをアピールしている先輩たちだけならともかく、波琉がいる場で改めて口にすることが躊躇われた。 葵に一目惚れをしたあの日から真っ直ぐにアプローチして獲得したこの居場所。それをいきなり現れた奴に奪われるなんて、耐え難い。この場に居座られることすら、不快に感じてしまった。波琉の目的は葵に近付くことではないはずなのに、それでも嫌だった。 こんなに度量が狭いだなんて、すでに波琉を受け入れる気でいる葵に知られたらガッカリされるかもしれない。だから必死に普段通りの顔を取り繕う。 波琉が居なくなると何事もなかったかのように通常の会議が始まる。でも議長として会議を仕切る幸樹の声がどこか遠くに感じられた。

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