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act.8月虹ワルツ<215>
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放課後から逆算して鎮痛剤を飲んだおかげで、平常時に感じる軋むような痛みは幾分かマシになる。だがグラウンドを駆け出すと途端に額に汗が滲んだ。両脚は自由に動くけれど、呼吸するたびに上下する肺が肋骨まで動かして、薬では誤魔化し切れない痛みを与えてくる。
練習は主に走る順番の戦略立てや、バトンの受け渡しに関して。だがリレー選手の中ではタイムが遅いと認識された都古は、上級生から目を付けられ、本気を出すように詰られている。
人より多く走らされている嫌がらせのような事態に文句の一つでも言いたくなるが、ここで揉め事を起こせば無理に練習に参加したことが葵にバレかねない。
ようやく休憩の声が掛かり、都古はグラウンド脇の木陰に腰を下ろした。喉は渇きを訴えているが、給水タンクに集まるチームメイトたちに混ざりたくはない。
薬の副作用で湧き上がる眠気に身を任せるように目を瞑ると、不意に首元にひんやりとしたものが当てられた。思わず目を開くとそこにはスポーツドリンクのペットボトルをこちらに差し出す七瀬の姿があった。その後ろには呆れた顔をする綾瀬もいる。
「……なに?」
「それはこっちの台詞なんだけど」
二人はこのグラウンド脇を通って帰宅する道すがら、ジャージ姿の都古に気が付いたらしい。そこから彼らは声を掛けるタイミングを見計らっていたのだという。
「体育祭で葵ちゃんに褒められたくてやってるんだろうけどさ、このままだと叱られるよ。怪我も悪化する。分かってる?」
「もう、治った」
お決まりの主張を口にすると、二人揃って盛大な溜め息をつかれた。
彼らは葵に黙って練習に参加していることはお見通しなのだろう。言うなと口止めしても無駄な気がする。都古だってこんな嘘をいつまでも貫き通せるとは思っていないが、それでも葵に出来るだけ心配を掛けずに済む方法が黙っていること以外思い浮かばなかったのだ。
制服が汚れることも構わず都古の正面に座った七瀬の表情は険しい。けれど、彼は無茶をした都古に怒っているわけではないようだ。
「七さ、都古くんの足が遅いって思われてるのムカつくんだけど」
「……なんで?」
「だっていつもの都古くんだったら、あいつらより絶対速いじゃん!絶対アンカーじゃん!」
どうやら上級生に詰られている声が彼の耳にも入っていたらしい。七瀬が馬鹿にされたわけではないのだから、怒る理由が分からない。眠たげに見える垂れ目を吊り上げて怒る七瀬を冷静に観察してしまう。
「悔しくないの?」
「別に。どうでもいい」
「七は嫌だな。都古くんの実力分かんない奴らに馬鹿にされるの」
まるで自分のことのように憤る七瀬の熱量が何処からくるのか理解出来ない。誰にどう思われようと興味はなかった。葵が可愛がってくれる存在であり続けられたらそれでいい。
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