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act.8月虹ワルツ<217>
結局七瀬と綾瀬は全ての練習が終わるのを見届けてから家に帰って行った。部活も習い事もしていない二人は余程暇なのだろう。そう解釈して、彼らの意図を深く考えないことにした。
寮に戻って一番に携帯を確認すると、葵からのメッセージが届いていた。内容は生徒会の活動が終わったことの知らせ。その少し後には京介の部屋に居るからおいでという誘いもあった。まずは葵が無事で居ることに安堵させられる。
一ノ瀬の件は、葵が生徒会の活動中に姿を消したことが発端で起こったこと。本当なら常に付き添っていたいし、そもそも生徒会に行かせずに済むならそれが最善だと思う。でも葵自身がそれを望まないのだからどうしようもない。
汗でべたつく体をシャワーで洗い流しながらこのあとのことを考える。
葵は都古がこの部屋に留まることを気にしている。葵経由でこの部屋の使用許可はとれたものの、忍は怪我が治るまでという期限付きでしか認めてくれなかった。それ以上の待遇を望むなら直接交渉に来いと言っていたらしい。
ただでさえ喋るのが不得手な自分がなぜこの部屋に留まりたいかを忍相手に論理的な説明をし、説得出来るとも思えなかった。紫色に変色した肌を見下ろしながら、いっそ怪我が長引けばいいだなんてことすら考えてしまう。
葵の香りが残る寝具と、恥ずかしがりながら刻んでくれた“好きの印”が今の都古の支えだった。昨日は布に隠れる場所ばかりを選んで口付けてきたから、いくら胸元を開いて浴衣を着ても葵の猫だという証は見えない。キスマークよりももっと分かりやすく首輪を嵌めてほしいと願ったら葵は困るだろうか。
濡れた髪を適当にタオルで拭い、鍵と携帯だけ持って部屋を後にする。
“いまいく”
スタンプでは表現出来ず、ゆっくり打ち込んだ文字。送信ボタンを押すと、きっと返信を待っていてくれたのだろう。葵からはすぐに白うさぎが笑っているスタンプが返ってきた。
京介の部屋には廊下を曲がればすぐに辿り着く。でもその前に障害となりうる存在が目の前に現れた。
まだ口元にかさぶたが浮かんだ目つきの悪い男。後ろに控える生徒たちにも見覚えがあった。都古が横を通り過ぎようとすると、それを塞ぐように彼らが廊下に広がる。
「ミヤコちゃん、中間の結果どうだった?」
リーダー格の生徒がまるで親しい間柄のように声を掛けてきた。彼らとは確かに追試や補習でよく顔を合わせる。その度にこうして絡まれるのだ。
彼らの挑発に乗った結果謹慎処分を食らい、そのせいで葵が攫われた時にすぐに動いてやれなかった。あの時の後悔が都古を冷静なままでいさせる。
「ツレないね。あんなに仲良くしたのに」
無言で彼らの間をすり抜けようするが、腕を掴んで阻まれる。薄い浴衣の布地越しに相手の体温を感じて、それだけで吐きたくなるほどの嫌悪感が湧き上がった。すぐさま振り払うが、彼の視線が肌蹴た胸元に注がれていることに気が付き尚更気分が悪くなった。
彼らもそれなりの処分が下された身。その理由が都古との喧嘩だということも学園中に知れ渡っていた。だからこうして接触しただけでも、すでに周囲からの注目を集めている。
さすがに彼らも人通りの多い廊下でこれ以上の騒ぎを起こすつもりはないようだ。次に都古が足を進めた時にはもう邪魔をしてくることはなかった。
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