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act.8月虹ワルツ<219>

* * * * * * 夕食を届ける目安として元々伝えていた時間を一時間も過ぎてしまっていた。何の返信も来なかった理由がただ練習に集中しているというだけならいいが、空腹に襲われていたらと焦る気持ちは否めない。 いつものメロディが聞こえてくる扉。その脇に設置されたチャイムに恐る恐る手を伸ばすと、途端にぴたりと音が止んだ。 「すみません、遅くなりました」 扉が開くなり頭を下げると、櫻は一瞬戸惑う様子を見せ、室内に掛けられた時計を見やった。 「本当だ、大分遅刻だね」 どうやら時間の感覚がなくなるほど没頭していたようだ。爪の先で額をピンと弾かれるが、覚悟していたほどの痛みはない。表情を見ても櫻は特段怒っているわけではなさそうでホッとする。 今日は日替わりの和定食を選んだと伝えたからだろう。一度キッチンに引っ込んだ櫻が手にしたトレイからは紅茶ではなく、ほうじ茶の香ばしい香りが漂ってくる。櫻は席につくと、葵の分のカップを差し出してくれる。猫舌なのがバレているからだろう。すぐに口を付けても熱いと感じない温度に冷まされていた。 「こっちが持ってきてもらってる立場だし、別に遅れようが来なかろうが全然構わないけどさ。何かあったの?」 葵が渡した袋から弁当の容器を取り出しながら、櫻は遅刻の理由を尋ねてきた。ぶっきらぼうな前置きが櫻らしい。 「みゃーちゃんがすごく眠そうだったので、膝を貸してたんです」 「あぁ、それで逃げられなくなっちゃったんだ?」 「……起こすのが可哀想で」 よほど疲れていたのだろう。瞬きをやめた都古が深い眠りに入るのには全く時間が掛からなかった。京介が運んでくれた夕食を食べる時も、膝の上の都古を起こさないようになんて気遣いが必要ないほど彼は熟睡していた。 「試験勉強がんばったからだと思います。全部は無理でしたけど、補習に引っ掛からなかった教科もあったんですよ。本当にありがとうございました」 勉強会で都古の面倒を見てくれたのは忍と奈央。でも櫻だって都古のことを気に掛けてくれていたように思う。だから愛猫の頑張りを報告し、感謝を伝える。 「全教科引っ掛かってたんだから、それ以上悪くなりようがないけどね。まぁ良かったんじゃない?」 真っ直ぐに褒めてはくれないが、都古を認めてもらえたようで自分のことのように嬉しくなる。 小さな成功だとしても、努力が報われる経験は次の挑戦への勇気を湧かせてくれる。これを機に都古が期末試験にも前向きな気持ちで臨んでくれたらいいと思う。家族や遥の支援を受けながら、葵自身がそうしてこの学園に少しずつ馴染めるようになったのだ。

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