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act.8月虹ワルツ<226>

「聖くんと爽くんの見送りで来たんだ。明後日まで会えなくなっちゃうから」 「あぁなるほど、そうっすよね、普通に考えて」 視線を合わせるように隣に腰を下ろしてきた葵はここに居る理由を教えてくれる。なんでその可能性を最初に思い浮かべられなかったのかと、先ほどの間抜けな発言を悔やんでも悔やみきれない。 でも言い訳をすれば、後輩が先輩の見送りをするのならともかく、逆の発想が小太郎の中にはなかったのだ。 小太郎自身、中等部時代から部活や委員会で知り合った上級生とはそれなりに親しくしているほうだと思う。放課後や休日に一緒に出掛けることだってある。でも二泊三日の別れを惜しむような間柄ではない。 「怪我はもう大丈夫?」 「怪我?ってなんの話ですか?」 「ここ、血が出てたから」 葵が指差したのは小太郎の膝だった。そういえば体育で怪我を負った時、葵と保健室で出会っていたことを思い出す。 でも二週間も前の話だし、この程度の怪我は日常茶飯事で全く意識していなかった。自分で気にも留めていなかったことを、たった一瞬会話しただけの葵が気に掛けていてくれるなんて思いもしなかった。純粋に小太郎を心配する目線を送られて、くすぐったいような気分にさせられる。 「あのぐらい全然!しょちゅうするんで。すぐ治るし、俺かなり丈夫だし、めちゃくちゃ元気です!」 気恥ずかしさを誤魔化すように大きな声を上げ、小太郎は勢い良く立ち上がった。今まで接してきた上級生とタイプがまるで違う葵を相手に、どう振る舞えばいいかが分からない。でも明らかに様子のおかしい小太郎を前にしても、葵はそれを指摘することなく“良かった”と笑ってくれた。 寮の玄関から少し前の小太郎よりももっとひどい身なりの同級生が走ってくるのが見えて、彼が例の遅刻者なのだと理解する。ようやく出発の時間が来たようだ。葵も同じことを思ったのだろう。ゆっくりと立ち上がる素ぶりを見せたが、その体がぐらりと揺れる。 「……ちょ、大丈夫ですか!?」 反射的に葵の肩に手を伸ばして抱きとめた。実際に触れてみると、その体が見た目以上に華奢なことを思い知る。 「もしかして具合悪いです?」 「ううん、ただの立ちくらみだから平気」 「でも顔色悪い気が……」 「それは多分、もともと」 葵は冗談っぽく笑ってくるが、彼の頬の隣に自分の手の甲を並べるとその肌の白さが際立って不安になる。日に焼けている自覚はあるが、それにしても葵が白すぎるのも事実だと思う。 「朝飯食いました?」 「……実は時間なくて。寝坊しちゃったから」 “小太郎くんと同じ”と付け加えた葵に、誰よりも早く起きて走っていたことは説明出来なかった。小太郎との仲間意識で自らの失敗を打ち明けてくれたのだと分かるからだ。 それにしても朝食の時間を抜いてでも見送りにやってきた事実にますます驚かされる。 「良かったらどうぞ。昼まで持たないと思うんで」 小太郎はポケットに突っ込んでいたパッケージを葵に差し出した。 「これなに?お菓子?」 「あぁ、はい、クッキーみたいなものです。藤沢さんのお口に合うかは分かんないですけど」 初めて見たのだろう。不思議そうに箱を観察していた葵は、“クッキー”という単語で明らかに口元を綻ばせた。甘いものが好きなのかもしれない。普通のお菓子とは違うことをやんわり釘刺してみるが、どの程度通じてくれたかは分からない。

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