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act.8月虹ワルツ<227>

担任から催促の声が掛かってようやく葵に別れを告げようとするが、背中を向けるなりポロシャツの裾を掴まれた。 「これ、小太郎くんに会えたら渡そうと思ってて」 渡されたのは小さなメモ用紙だった。そこには携帯番号とIDが書かれている。 「藤沢さんの、ですか?」 葵と会話するのはこれで三度目。小太郎にとっては生徒会役員である葵は遠い存在だ。だから彼から連絡先を渡されるシチュエーションに置かれた現状がさっぱり理解出来ない。だからこうして明らかな事実をわざわざ言葉で確認してしまう。 「もしも二人に何かあったら連絡もらえないかな?二人からは相談してくれない気がするから、少し心配で」 「あ、あぁ、なるほど。そっか、そうですよね」 一瞬でも葵が自分と親しくなろうとしているなんて思ったことが恥ずかしい。葵の行動基準はあくまで聖と爽のためなのだ。でも二人には内緒、だなんて言われるとやはり妙にそわそわとさせられる。 バスに乗り込むと、クラスメイトから口々に遅刻を詰る野次が飛ぶ。その中で一番後ろの席を陣取っている双子は無関心を貫いて携帯をいじっていた。それぞれイヤホンを耳に突っ込んでいるから、周囲の声も聞こえていないのだろう。 他にも空席はあったし、隣に来いと声を掛けてくれる友人はいたが、小太郎は彼らの元に真っ直ぐに向かった。グループごとに座れという決まりはなかったが、このイベント中に少しでも多く彼らと話してみたかった。 「おはよう」 イヤホンをしていても小太郎が近づいて来たことぐらいは分かるはずだ。それでもこちらをチラリとも見ない二人の肩を揺さぶって、大きく声を掛ける。 「「うるさい」」 「おはよう」 揃って鬱陶しそうな目を向けてくるが、小太郎が挨拶を催促すると今度はそっぽを向いて“おはよう”と返ってくる。こうして返事をくれるようになったし、雑談にも多少は付き合ってくれるようになった。少しずつ二人のテリトリーに踏み込むことを許されている感覚はある。 一見、全く違いのないように見える二人の個性にも気が付けるようになってきた。 すぐ隣に座る爽の手元の携帯に映っているのはバンドのライブ映像のようだ。音楽には疎い小太郎にはそれが誰かは分からなかったが、観客の数からしてそれなりに人気なのだと思う。 「なぁ、それ誰?なんてバンド?」 肩を突いて問いかけると、爽は無言で画面の一部を指差してくる。そこには動画のタイトルとして二つの言葉が表示されている。小太郎にはそのどちらがバンド名で、曲名かも分からなかったが、見たままを自分の携帯で検索すると彼らの情報が表示される。 普段音楽を聴くことのない小太郎はイヤホンを持ち歩く習慣もない。宿泊先に着いたら聴いてみようと決めて、オフィシャルサイトをブックマークに登録する。

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