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act.8月虹ワルツ<229>
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ビジネス街の中で一際目立つオフィスビル。その高層階から望む景色を見下ろす横顔は静かな怒りを携えていた。
一般の社員ならこの表情だけで竦み上がるのだろうが、彼の息子のヒステリーに日常的に晒されている穂高にとっては恐れる対象にならない。むしろ馨よりも幾分かは話が通じる相手だとわかっている分、冷静に対処できる。
「……それで、その記者とやらはどこの?」
柾に問われ、穂高は脇に抱えていた週刊誌を手渡す。低俗で品のない見出しが並ぶ表紙を見ただけで柾は目元を押さえて、手に取ったばかりの週刊誌を放り投げた。
「あの時一掃したつもりだったが、また湧いて出てきたのか。まるで害虫だな。全く、あの女はどこまでも厄介ごとを招いてくる」
穂高自身も幼かったおかげで記憶は朧げではあるが、柾は女優として活躍するエレナの存在を気に入っていなかったように思う。財産目当ての女狐とよく蔑んでもいた。
穂高が共に暮らし始めた頃、つまりは葵が生まれた時にはすでに馨とエレナの関係は崩壊していたし、仲睦まじい恋人期間があったとも思えない。二人が結婚するに至った経緯も、そもそも柾がなぜそれを許したのかも分からなかった。長い間彼らに仕えていても穂高からは迂闊に触れられない話題だった。
「彼はあの時私が現場に居たことを知っているようです。お坊ちゃまへの接触を断つ代わりに会話がしたいと乞われています」
「そうか」
柾は穂高の言葉でしばし考え込むような素振りを見せた。
記者が冬耶を通じて葵に接触を試みようとしたことや、目的がエレナの死の真相を暴くことであるとはすでに伝えている。そのうえで穂高がどう立ち振る舞うべきか、彼に判断を委ねるポーズをとった。
宮岡から話をもらった際は内密に動くことも頭を過った。だが穂高は所詮藤沢家に雇われている身。独断での行動が問題視されれば、この立場を維持することが難しくなる可能性がある。
だからこうして柾を巻き込むことを選んだ。彼なら藤沢家の世間体を気にして、どんな手を使っても記事が世に出るのを差し止めようとするだろう。
「馨には?」
「まだ何もお伝えしておりません。その判断も含めてお伺いしたく」
穂高の回答に、柾は満足そうに頷いた。もし馨がこの話を耳に入れても、遠ざけるどころか面白がることが目に見えているからだ。自ら対応するなんて言い出しかねない。
「あいつにはそのまま何も知らせなくて構わん」
「かしこまりました。それでは、先方とはどのように話を付けましょうか。金で黙る類の人間ではないように思いますが」
宮岡経由で、当時子供だった冬耶相手にまで筋違いな恨みを抱いていると聞いた。幾らか握らせたところであっさり引くとは考えにくい。もし金が目的なら冬耶を突くなんて回りくどいことはせず、直接藤沢家に脅しをかけるはずだ。
あくまで柾の意思に沿う形で伺いを立てると、柾は外の景色を眺めるのをやめてようやく穂高と正面から向き合う姿勢をとった。そしてひとしきり観察するような視線を這わせると、愉快そうに口元を歪める。
「なるほど、馨ではなく私の駒になる気で来たのか」
この問題を柾の手に委ねつつも、穂高自身は関与し続けるつもりでいる。それを彼はそう表現した。駒と呼ばれるのは気分が良くないが、否定することは出来ない。
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