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act.8月虹ワルツ<243>
「爽、次入る?」
入るならシャンプーやトリートメントのセットは置いておこう。そんなつもりで扉から顔を覗かせると、爽と小太郎が揃ってこちらに視線を向けてきた。ソファに並んで座っているだけでなく、小太郎が二人の真ん中の位置に携帯を掲げていることから、何かの映像を一緒に眺めていたのだと分かる。
「あぁ、うん、入る」
爽はすぐに小太郎の携帯を押し除けるようにソファから飛び降り、自分のバッグを漁り出した。
小太郎と仲良くしているのが面白くないわけじゃない。聖に見つかると、こうして気遣わしげな目をされるのが嫌なのだ。気まずそうにされるのも気分が悪い。
「聖もこのバンド好きなんだろ?さっき爽から聞いた。一緒にライブも行ったことあるって」
二人のあいだに流れる微妙な空気に気が付いていないのか。それとも気が付かないフリをして歩み寄ってくるのかは分からないが、小太郎が携帯を片手に近づいてくる。
確かに彼が見せてきたMVは、二人共が応援しているラウドロックのバンドだった。桐宮に入学する前の春休み、初めてチケットを取ってライブハウスに出向いたことを思い出す。
「このロゴのステッカー、軽音部のやつがケースに貼ってたから好きなのかもって話してたんだ」
「……ふーん」
入部を悩んでいる爽にとって、小太郎からもたらされた情報は部員と会話するきっかけ作りとして有益なものだろう。
「隣のクラスの室生伊吹ってやつ。知ってる?」
「知らない。興味もない」
「派手だから見たことあると思うんだけど。ほら、水色の髪のさ」
少し棘のある言葉を投げても、小太郎はめげることなく笑いかけてくる。その言葉で、該当する生徒を思い出した。背は低いが、淡い水色に染めた髪が目を引く存在だ。
「あいつ、軽音部なの?踊ってんの見たことあるけど」
仕事で遅くなった夜に寮へ戻った際、彼がガラス窓を鏡代わりにして体を動かしていた姿を記憶している。決して恵まれた体格ではないはずなのに、手足をしなやかに伸ばして舞う姿は、疲れきった聖が思わず足を止めてしまうほど引力のあるものだった。
「あ、そっちが本業。軽音部は手伝い?サポート?って言ってたかな」
「へぇ、そうなんだ」
「伊吹もいい奴だよ」
気のない相槌を返しても、小太郎は友人をの紹介をやめない。“も”という表現から、小太郎が暗に波琉を褒めていることも分かる。
「竹内のいい奴判定、ガバガバな気がするんだけど」
まだよく知らない波琉や伊吹を嫌な奴だと言いたいわけではない。ただ聖相手にもこうして気兼ねなく声を掛けてくるぐらいだ。小太郎からすれば世の中皆いい奴だらけに見えている可能性を考えてしまう。
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