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act.8月虹ワルツ<259>

「さすがに金借りようとか思ってないよ。ただ食堂でごはん食べさせてもらったりとか、そういうの」 寮での食事は、学生証で管理されている。食べた分だけ毎月請求が上がる仕組みだ。そういった費用の免除対象である役員の葵にご馳走になるのなら、確かに葵本人に負担が生じるわけではない。でも制度の悪用だと感じてしまう。 だが、寮の食事すら高いと感じて部屋で自炊していると聞けば、波琉を止めることが必ずしも良いことだとは思えない。 「藤沢さんのこと、傷つけたらダメだよ」 今小太郎の立場で波琉に言えることはそのぐらいしか浮かばなかった。葵のことを大事に思う聖や爽のためにも。そして葵本人のためにも。せめてそれだけは約束してほしい。 「あれ、コタローって藤沢さんのファンだっけ?」 「別にそういうんじゃないけどさ。……いや、待って」 波琉の言葉を否定しかけたが、ふと気が付く。 葵を前にすると妙に緊張して空回りする感覚に陥るのも、連絡が来るたびにドキドキするのも、自分だって何かお土産を贈りたいと考えてしまうのもそれが理由なのかもしれない。 「どうしよう。俺、ファンになっちゃったかもしれない。キャンプで選手にサインもらった時の感じに似てる」 憧れの選手を一目見ようとキャンプ地を訪問した時、せっかく話すきっかけに恵まれてもうまく言葉が出てこなかった。フォームを真似しているとか、どの試合のホームランが格好よかったとか、伝えたいことは沢山あったのに。 「藤沢さんを野球選手と一緒にするなよ」 波琉には呆れた目を向けられるが、小太郎はいたって真剣だった。今まで生徒会や、容姿の端麗な先輩たちに浮き足立つ同級生の気持ちがいまいち理解出来ずに居たが、ようやく分かった気がする。 「コタローが野球選手に向けてんのはその人みたいになりたいっていう種類の憧れだろ?藤沢さんに対しても同じなの?」 そうして丁寧に問われると、たしかに種類は違う気がする。葵のようになりたいというよりも、彼に大事にされている聖や爽を羨ましく思う気持ちや、自分も彼らのように可愛がられたいという表現が近いのかもしれない。 「俺もモモちゃんと一緒かも」 「まぁ俺は冗談だけどさ。藤沢さんに面倒見られたいって意味?」 「あー、うん多分。いや、それもあるけど、あれ、なんかしっくり来ないな。なんだこれ」 思うままに口にすると、あまりにも支離滅裂な言葉の羅列になってしまう。でもこの感情を一言ではうまく言い表せそうにないのだ。葛藤する小太郎がよほど面白いのか、波琉は横で声を上げて笑い始めた。 そして聞いてもいないのに、生徒会室で接した葵が想像以上に小さくて白かったと感想を告げてくる。波琉は出会った時から好きなタイプは自分とは正反対の“色白な子”と言い続けていた。それを思い出してなぜか胸がざわついた。この感覚は何なのだろう。 正体不明の感情を封じ込めるために、小太郎は昼食すら節制したという波琉を近くのキッチンカーに誘い出した。小太郎が買ってやったどこにでもあるホットドッグを有り難がりながらかぶりつく波琉の姿を見ると、彼を救ってやりたくて堪らない気持ちにさせられる。 でも切羽詰まった彼が本気で葵を利用しようとするならば、おそらく自分は止めに入るだろう。波琉は大切な友人であるはずなのに、それ以上に葵の好意が搾取されるのは想像するだけでも居た堪れない。かといって波琉を見捨てたいわけでももちろんない。 まだ訪れもしない未来に頭を悩ませながら、小太郎は友人の顔を見つめ続けた。

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