1366 / 1636
act.8月虹ワルツ<264>
中には封筒と同じ色をした二つ折りのカードが入っていた。シルバーの文字で浮かんでいるのは“invitation”という文字と今週末の日付。それだけでこれが何かを十分に理解出来た。
「うそ、なんで」
週末に行われる月島家の演奏会。その招待状が目の前にある。それは分かるのに、なぜかが分からない。以前葵は櫻に招待を断られた身だ。忍の口ぶりからも、葵が気軽に遊びに行けるような場ではないことぐらい理解している。
でも目の前には間違いなく招待状がある。葵へのご褒美ということは、招待の対象は葵と考えていいのだろう。
不穏な空気を感じる場に向かうことへの不安がないわけではない。でも櫻を直接応援できる機会を得られたことが嬉しい。それに、櫻が葵を招いてくれたという事実が何よりも葵を喜ばせた。もっと歩み寄っていいのだと、認められたような気がするからだ。
あとのことは忍に聞けと指示を受けたということは、彼と共に出席しろということなのだと思う。忍も承知の上なのだろうか。浮かれた気持ちのまま彼に連絡を取りたくなるが、それを必死に堪える。
こんな時間に電話すれば忍に迷惑が掛かるかもしれないし、一人で眠れないのだという誤解をされても困る。だから明日を待って、直接会話をするほうがいい。
「日曜日、楽しみだな」
開け放した窓から流れてくる風に乗って、今夜も櫻のピアノの音色が聞こえてくる。
ステージで演奏される音はもっともっと素敵に聞こえるのだろうか。誰よりも大きな拍手を送って、一番に感想を伝えたい。そうしたら余裕のある意地悪な笑顔ではなく、彼が時々見せてくれる柔らかい笑顔が見られるかもしれない。
想像しただけでも、あれほど不安定だった心が満たされる。自分でも単純だと思うが、仕方ない。
「そうだ、こっちのリボンに変えてあげようかな」
招待状は大切に枕元のサイドテーブルに置き直したけれど、微かに黄色みを帯びたミルキーホワイトのリボンの行方を悩んだ葵はクマの首元を飾るブルーのものと交換してやろうと思い立った。
手触りからして動物園のロゴが刻まれたリボンより、招待状に添えられたもののほうが質がいい。それに茶色い毛並みのこの子には白がよく似合う気がしたのだ。
長さが足りるかだけが心配だったが、無事にふんわりとした蝶々結びが完成する。京介には間抜け面とか、能天気な顔とか散々な言われようをしているクマだが、今は上品に澄ました表情に見えるのは葵の思い過ごしだろうか。
外したブルーのリボンも京介と共に出掛けた動物園の思い出と言えるかもしれない。宝箱に保管しておこうと端からくるくると巻き取っていくが、途中でぴたりと手が止まった。リボンの裏に数字が並んでいるのに気が付いたのだ。頭の3桁の数字は、それが誰かの携帯番号であることを示している。
ともだちにシェアしよう!

