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act.8月虹ワルツ<270>
「ダンスは姉ちゃんと一緒にバレエ始めてから。んで、ベースは二番目の姉ちゃんの彼氏に教えてもらったおかげ。爽は最近始めたって言ってたけど、なんかきっかけあったの?」
伊吹は自分の情報を晒すことに何の躊躇いもないらしい。少なくとも二人以上姉がいて、彼のルーツがバレエにあり、姉の彼氏がベーシストだという情報が一気に与えられる。爽もここまで晒さなくてはいけないのかと思わされるが、兄弟は聖しかいないし、きっかけといってもただ音楽が好きで興味を持ったというぐらいだ。
「たまたまギターがあったから、弾いてみようかなって思って」
「たまたまって何?そんなことあんの?」
「撮影で使ったやつ貰ったんだ」
聖と出演した映像作品用に作られた唯一無二のデザイン。聖は部屋のインテリアにしてしまっているが、使わないともったいないと思い始めて手に取った。
「あー、そういやフィエロのモデルやってんだっけ。俺あそこのワークブーツ好き。めちゃくちゃ可愛いよな。高くてまだ買えないけど」
伊吹の言う通り、母のリエが手掛けているブランドは普通の高校生なら気軽に買えない価格帯だ。キッズラインも揃えているが、メインターゲットはその親世代だ。だから伊吹がアイテムを把握していることが意外だった。ダンスの練習技らしい服装でも垢抜けて見えるのだから、彼はファッションにも感度が高いようだ。
それにしても伊吹は勝手に会話を転がし、弾ませていく。波琉はここまでお喋りではなかったが、初めての相手にも物怖じする様子は見せたなかったし、小太郎の友達は皆こんなタイプばかりなのだろうか。
伊吹のペースに巻き込まれたまま、爽はギターの写真を披露したり、お返しといって彼のベースや家族の写真まで見せられたりとよくわからぬ交流の時間が過ぎていく。それを中断させたのは聖からの連絡だった。
「……やべ、忘れてた」
元々時間を潰すつもりだったとはいえ、思った以上に伊吹との会話に費やしてしまった。慌てて席を立つが、それを伊吹が止めてくる。
「待って、友達になろ」
あまりにもストレートな言葉にとてつもなく驚かされるが、彼が携帯でメッセージアプリを起動させているのを見て、アプリ上で繋がろうという意味なのだと察する。
“誰かと合わせたほうが早く上達するよ”
そんな言葉を最後に送ってきた伊吹も元いた場所に戻っていった。部活動に顔を出せと言いたいのだろう。予期せぬ出会いだったが、顔見知りが一人でもいれば部室にも少しは赴きやすくなる。
部屋には出て行った時と変わらぬ位置に聖と小太郎が座っていた。でもその表情は明らかに違う。小太郎はないはずの尻尾をブンブン振っているように見えるほど上機嫌だし、聖はぶすっとしつつも、どこか照れくさそうにしている。どうやら誤解はきちんととけたらしい。
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