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act.8月虹ワルツ<276>

バルコニーで眠る葵を見つけた時は問答無用で食ってやるつもりだったが、やはりどうにも幼すぎてペースが乱される。微睡の中にいるとはいえ、若葉に甘えてくる仕草は素直に可愛いと感じる。人相手にこんな感情が湧き上がるのは初めての経験だ。 耳をくすぐっていた指を首元に滑らせ、以前ネクタイで締めた部分をなぞってやっても、葵は警戒するどころか心地よさそうに目を薄める。人を飼ったことはないが、葵相手ならアリかもしれない。そんなことすら若葉に思わせてくる。 「葵チャン、うち来る?」 泣き腫らした瞼が重たそうに閉じられたことに気が付き、若葉は彼がまた眠りについてしまう前に声を掛ける。すると幾分か落ち着きを取り戻した葵が、ゆっくりとこちらを見上げてきた。 「……あ、れ?パパじゃ、ない?」 「今気づいたの?ちゃんと誰だか認識できた?」 「赤い、人。助けて、くれた」 目覚めたのかと思いきや、まだ微睡の中にいるらしい。屋上での出来事など頭からすっぽり抜け落ちているかのように若葉の赤髪を見つめて安堵の表情を浮かべた。そしてまた瞼を閉じて頬を預けてくる。本格的に眠るつもりらしい。 このまま攫ってしまおうか。そんな考えが若葉の頭を過ぎる。猫を増やすなと言われているだけで、人に関しては特に注意されていない。それに徹は葵に興味を示していた。連れて帰っても文句を言ってくるどころか、喜ぶ顔が浮かぶ。 後々番犬たちの相手をするのは面倒だが、目の前にある餌を逃すのは勿体無い。葵を抱え直してベッドから降りると、帰りの遅い主人に焦れた徹からちょうど連絡が入った。早く帰ってこいというメッセージ。それを流し見だけして、若葉は葵に視線を戻した。 生意気な徹の言葉で、葵を共有してやる気がなくなったのだ。少なくとも、自分が先に食べるべき。そう思う。 葵の子供らしさを引き立てているのは、ストライプ柄のパジャマが与える印象も強いだろう。サイズが大きいそれは、一番上までボタンを留めていても身じろぎをするたびに鎖骨辺りまで肌が露わになってしまう。 その肌にうっすらと残るキスマークの痕が、葵の子供っぽさとはアンバランスに見えて、若葉の目を引いた。すっかり失せたと思っていた欲情に火がつくのも感じる。 「あれ、何も持ってないの?めんどくせーな」 規則的な寝息を立て始めた葵を再びベッドに転がし、若葉はサイドテーブルの引き出しを漁ってみるが目当てのものは何も見つからない。受け入れる側の人間は未里のように潤滑剤のようなものを常備しているのが普通なのだと思ったのだけれど。 いくら葵が行為に慣れていようが、何の準備も無しに突っ込めるとは思わない。乾いた場所に無理に捻じ込んでも、若葉側だって快楽を得られるかどうか分からない。 「イイ子に待ってな。馬鹿なことは考えんなよ」 無意識に若葉のシャツを握り続ける葵の手を外しながらそう言い残して、若葉は隣の部屋に代替になるものを探しに行く。

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