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act.8月虹ワルツ<278>

『どこまで餌やりに?』 若葉からの反応がないことで、先に目星がつくところには既に顔を出したあとなのだろう。どこにも若葉の姿が見えないことに開口一番嫌味を垂れてくる。 「葵チャン捕まえてた」 葵の名を出すと、徹は一瞬の間を置いたあと深く息を吐き出した。 『それは随分タイミングが悪いですね。先ほど呼び出しがありました』 「ジジイから?」 『えぇ、クライアントから相談があったそうです』 いつもはいくら若葉の帰りが遅くとも車で待ち続けることの多い徹がわざわざ探し回っていた理由に合点がいった。若葉に声を掛けてきたということは、それなりに大事な相手からの依頼なのだろう。その仕事の話に、今腕の中で眠る葵を連れて行けるわけもない。 徹の言う通り、本当にタイミングが悪い。若葉までガラにもなく溜め息を吐きたくなる。 「イイとこだったんだけど」 徹に当てつけるように、葵の中を掻き回してぐちゅりとした音を聞かせてやる。下準備をしている最中にお預けを食らうのはあまりにも不本意な結果。 『葵さんと遊ぶのはまた今度になさってください。お待ちしてますね』 「はいはい、りょーかい」 徹との電話を切り上げた若葉は、名残を惜しむようにもう一度突き入れた中指でぐるりと内壁をなぞる。指一本分ですらきつく締め上げてくる粘膜。若葉よりも体温の高いそこに、その気になって膨張しているモノを捩じ込みたい欲望は増す一方だ。 でもこれ以上葵と遊ぶ猶予がないのは徹の声音で分かる。仕方なく指を引き抜き、シーツで適当にクリームと粘液のぬめりを拭うと、葵の上から退いた。すると、若葉が離れる気配を察した葵が目を覚ましてしまった。 「いっちゃ、やだ」 「これで起きんのネ。どうなんってんの、お前」 体を弄られても目覚めなかったくせに、離れるだけでシャツを掴んで引き留めてくる。若葉には全く理解出来ない生き物だ。でも真っ直ぐに縋ってくる姿は、若葉に名残惜しさを植え付ける。 それに今葵が涙を溢しているのは、他の誰でもなく若葉のせい。そう思うと一層可愛く思えてくる。 「窓開けときな。そしたらまた来てやるから」 葵の真白い首筋をくすぐりながら、宥める台詞を与えてやる。葵はそれでも嫌だと言いたげに首を振った。この仕草もまた、家を出る前に足元にまとわりついてくる猫たちを連想させる。彼らも喋ることが出来たなら、こんな風にごねてくるのかもしれない。 でも若葉の指先から与えられる心地よさに身を任せるように目を瞑った葵が再び眠りにつくまで、それほど時間は掛からなかった。意識が途切れるギリギリまでイヤだと首を振り続ける様は若葉を笑わせる。 葵が規則的な寝息を立て始めたことを見届けてから、若葉は元来たルートを辿って徹の待つ駐車場へと向かった。さすがに前と同じアプローチをしても意味がないと考えたのか、今夜は冬耶も幸樹も現れていない。 「葵さんはどちらに?またどこかに隠れてたんですか?」 目的地に向かう車中で、徹は真っ先に葵のことを口にした。若葉が遊ぶ相手には大して興味を持ってこなかったはずなのに、彼にとって葵はやはり興味の対象らしい。 バルコニーで寝ていたことや屋上経由で乗り込んだことを教えてやると、徹は暗い車中のミラー越しでもはっきりと分かるぐらい訝しげな表情を浮かべた。気持ちは分かる。実際にあの光景を見なければ、若葉だってにわかには信じ難い話だと思う。

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