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act.8月虹ワルツ<283>

「あの、もう一人で大丈夫です。このままだと皆さん、遅刻しちゃうので」 朝食をとる時間も奪っているというのに、授業にまで遅刻させてしまうわけにはいかない。ベッドの周りですっかり落ち着いてしまっている先輩たちを見渡して声を掛けてみるけれど、誰一人慌てる様子はない。 「役員の特権は知っているだろう?授業に出ようが出まいが、注意を受けない立場だ」 忍の言うことは正しい。確かに役員は一般生徒ほどに厳しい管理下には置かれずに済む。でもそれはあくまで学園のためとなる役員活動を行なうのが理由なら、という前提だ。葵の看病はそれに該当しないはず。 「でも……」 「分かっている。お前がそうして気にするだろうから、一日付き添うつもりはない」 葵の反論を遮って忍が手を伸ばしてくる。熱で汗ばんだ額に張り付く前髪を払い除けられるのはくすぐったくて、妙に気恥ずかしい。 「俺たちがここにいるのは、助っ人が来るまでだ」 「助っ人ですか?」 「授業に出る必要はなく、暇を持て余しているであろう人。それなら文句はないだろう?」 そんな人が身近に居ただろうか。忍の言葉で候補を考え出した葵は、それほど時間が掛からずに答えに行き着くことが出来た。 「……遥さん?」 「あぁ、すぐに来てくれるそうだ。彼と交代で俺たちは登校する」 だから安心して眠るようにと促され、葵はもう一度瞼を閉じた。ここで葵がごねたところで、彼らは簡単には考えを変えてくれないだろう。 頭は熱のせいでボーッとしているが、布団をしっかり被っていても薄寒いと感じてしまう。きっとまだ熱は高くなるのだと思う。泣いたせいだと考えていたけれど、本当に風邪を引いてしまった可能性もあった。 風邪ならば、原因は朝目覚めた時の格好だというのは明らかだ。どうしてああなったのだろう。この奇行が自分のしでかしたことならば恐ろしくて仕方ない。 宮岡の手助けで無理やり封じ込めていた過去と対峙出来るようになってから、腕を噛む癖だって我慢出来ていたのに。もっと理解しがたい行動に走るようになったなんて。これも宮岡に相談したら解決するのだろうか。 なんにしても、まずはこの熱を一刻も早く下げなければいけない。夕方帰ってくる後輩たちを出迎える約束をしているのだ。もうすでに弱い部分ばかりを見せてしまっている先輩たち相手ならともかく、聖や爽には頼りになる先輩らしく振る舞いたい。 「……あの、薬」 重たい瞼を開き、すぐ傍にいた忍に声を掛ける。彼が持ってきたのは解熱剤。それを飲めば少なくとも葵を悩ます熱は引いてくれるに違いない。 「飲む気になったのはいいが、食欲は?」 水と共に錠剤を一粒飲み込むぐらいは頑張れると思う。けれど、何かを口に出来る気分ではなかった。力無く首を横に振ると、忍にはやんわりと断られてしまう。空腹時には避けたほうがいい薬らしい。 「ごめんなさい」 「気にしないで。素直に食べられないって言ってくれたほうがよっぽど安心するよ」 せっかく用意してくれた奈央の好意をまた踏み躙ってしまった気がして彼に向けて謝罪をすると、すぐに柔らかい笑顔が返ってくる。そういえば、彼には無理に食事を詰め込んで戻してしまっているところを見られていた。 本当に自分はダメなところばかり。体調を崩すと思考もそれにつられてネガティブなほうに向いてしまう。 湧き上がる涙を堪えるように、葵はもう一度瞼を閉じて、布団で顔を隠した。

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