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act.8月虹ワルツ<284>
* * * * * *
予報では今日の降水確率はゼロだと言っていたが、空は分厚い雲で覆われている。気温も心なしか低く感じた。不安定な気候は健康な人間でさえ体調を崩しやすくなる。葵の睡眠不足や食欲の低下は元々伝え聞いていたから、忍から連絡を受けた時もさして驚きはしなかった。
バスを使って学園まで辿り着くと、こちらの存在に気が付いた顔見知りの警備員が笑顔で門を開いてくれる。卒業生とはいえエリア内に立ち入るには手続きが必要になるはずなのだが、きっと忍が事前に伝えてくれていたのだろう。
今は一限目の授業が始まっている時間帯。当然、寮も人の気配がなくシンと静まり返っていた。だがエントランスに着いたことを知らせるために携帯を開いた遥の視界に、不意に黒い影が現れる。
「授業は?」
この時間、寮に居てはいけない人物。なぜここに居るかはわざわざ確認しなくとも予測はつく。葵が心配で堪らなかったのだろう。遥が尋ねると、彼は気まずそうに視線を逸らした。その拍子に高い位置で結んだ黒髪が小さく揺れる。
「葵ちゃんの顔見たら登校するって約束出来る?」
約束するなら付き添わせてやる。その交換条件に都古は悩む素振りを見せたものの、それ以外に葵に会う方法がないのは理解出来たようだ。遥の提案を受け入れるように首が縦に振られた。
遥を迎えにやってきたのは奈央だったが、都古まで居ることにはそれほど驚く様子を見せなかった。都古には葵より優先するものなど何もないことはよく理解されているのだろう。だから遥も無理に追い払うことはせず、彼の願いを叶えてやることを選んだのだ。
卒業するまで自分が過ごしていた部屋に招かれるのは少し妙な気分にさせられた。葵が眠るベッドも、元の持ち主は遥。でも中心に葵が眠り、それを囲むように後輩たちが揃っている光景を眺めると、家主が葵に受け継がれたのだと実感する。
「アオッ」
部屋にやってくるまでは殊勝な態度をとっていた都古だが、いざ葵が目の前に現れると我慢が出来なくなったらしい。無表情な印象の強い彼が泣きそうな顔でベッドまで駆け寄った。遥もその後に続いて、葵の様子を窺う。
頬は赤く染まり、額や首筋にはうっすらと汗が滲んでいる。忍の話では、この一時間足らずで更に熱が上がってしまっているのだという。
精神的なストレスでも発熱しやすい体質だが、免疫力の低い葵は風邪を引く頻度も高い。今回はどちらだろうか。苦しそうな寝顔を見下ろしながら、遥は他に症状がないかを探る。
「相良さん、これ。葵ちゃん自身はやった覚えがないみたいですけど」
遥の視線の意図に気が付いたのか、櫻が布団に隠れていた葵の手首を示した。そこには真新しい噛み跡が浮かんでいる。目元も随分腫れているようだし、精神的な要因が大きいのかもしれない。
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