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act.8月虹ワルツ<286>

「……ごめんなさい、遥さん」 遥が近づいてきたことに気が付いた葵が真っ先に口にするのは謝罪。どれだけ距離を縮めても、葵は不要な遠慮をしたがる。でも手を伸ばしてくるのは、遥を恋しがっていた証。 「いつもこうなるまで無茶するんだから。辛い時はちゃんと辛いって言えるようにならないと」 葵が強くなりたいと願う気持ちは尊重してやりたい。実際、葵は幼い頃に比べれば随分成長してくれている。その頑張りを認められていないのは葵本人だけ。自分を甘やかしてやれずに追い込んでしまう性質は、再び離れ離れになる前に少しでも改善してやりたい。 求められるままにパジャマ越しでも火照っていることが分かる体を抱き締めてやると、葵からも夢中でしがみつかれる。不安と寂しさでいっぱいになっていたのだろう。 「りんごすりおろしたけど、食べられそう?」 葵が落ち着くのを待ってサイドテーブルに置いた器へと意識を向けさせると、白い喉が上下するのが分かる。甘いものを好む葵が特に好きな飲み物はりんごジュース。すりおろしてやると、ジュースに近い状態になって喉の渇きも癒せるからか、食欲がない時でも比較的に手を伸ばしやすくなるのだ。 頷いた葵の体を引き上げて、クッションを重ねて作った背もたれに預けてやる。その傍らに寄り添うように自らも腰を下ろした。葵は自分の手でスプーンを握ろうとしたけれど、何から何まで面倒を見るつもりで来たのだ。 「……恥ずかしい」 「いつもしてるのに?誰も見てないよ」 体調を崩した時だけではない。出来立てのお菓子を摘んで、一番に葵の口元に運んでやることも日常だった。それを当たり前のように受け入れているのに、こんな時はその子供っぽさを恥ずかしがるのも葵らしい。 でもりんごをひと匙掬ったスプーンで唇をツンと突くと、素直に開いてくれる。 「蜂蜜の味する」 「少しだけ混ぜてみた。好き?」 「うん、甘くておいしい」 よほど気に入ったのか、もう一口ねだるように遥の袖口を引っ張ってくる。食欲が少しでも湧いてくれた事実は、遥を安心させた。 「腫れてはなさそうだけど、喉は痛くない?」 喉元に触れてみても扁桃腺の腫れは感じられないし、声が掠れていたのは単に喉が乾いていただけのようだ。本人も遥の問いにはすぐに首を縦に振る。この分なら、熱さえ下がってくれれば長引かずに済むかもしれない。 「遥さん、いつ帰っちゃうの?」 枕の氷を入れ替えて戻ってくると、ほんの少しの間でも離れるのが寂しかったのか、葵は開口一番そんなことを聞いてくる。 「放課後、皆が戻ってくるまでかな。今日も生徒会あるんだよな?」 彼らは葵を心配して早く会議を切り上げそうな気もするが、それでも日が沈む時間帯まではここに居ることになるだろう。葵はそれを聞いて嬉しそうな表情を浮かべつつも、すぐにそれを曇らせた。 「今日何か予定あった?」 「ううん、別に。カフェにでも行って本読もうかなって思ってたぐらい」 場所がカフェから寮に変わっただけ。読書はここでも出来る。それを示すように鞄から本を取り出して見せれば、葵はホッと息を吐き出す。傍に居て欲しがった自分の行動が、遥にとっては迷惑だったのではと不安になったのだろう。 そもそも帰国したのは葵のため。葵から求められればいつだって駆けつけてやるつもりでいるのだから、前提が違うのだ。でも葵はどれだけ遥に愛されているかを自覚してくれていないらしい。

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