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act.8月虹ワルツ<287>

「ずっとここに居るから、安心していいよ」 眠るよう促すと、葵は大人しく布団に潜り込んだ。少量とはいえ食事をとり、薬も飲ませたのだからあとは体を休めるだけ。遥はその傍らで宣言通りに読書をし始めるが、一度は目を瞑ったはずの葵からの視線を感じ、顔を上げる。 「どうした?」 「うん、あのね……」 自ら切り出したものの、葵はなかなかその先の言葉を紡ごうとしない。でも遥は本を閉じて聞く体勢をとっただけで、先回りして手を差し伸べることはせず、その時が来るのをジッと待つ。 これほど泣き腫らした顔になった原因についてか。手首の傷跡のことか。それとも、一人での生活を始めて数日経って感じた本音を打ち明けてくれるのか。大方そんなところだろうと予測していた遥に、しばらく経ってもたらされたのはそのどれでもない予想外の相談だった。 「夢遊病?」 眠っている間に動き回ってしまうかもしれない。それが心配で眠りにつく前に遥に話しておこうと思ったらしい。 「寝てるあいだに日焼け止め塗ってたみたい」 「日焼け止め?あぁ、だからこんなところに転がってたのか」 なぜクリームの容器がサイドテーブルに置かれているのか、気になってはいたのだ。でもわざわざ洗面所までこれを取りに行き、自らの体に塗った記憶がないなんてにわかには信じ難い。 「パパのこと、考えてたからかも。いつも日に焼けたらダメって言ってたから」 葵は自分なりに納得のいく答えを見つけようとしているようだった。これが自分を含め他の誰かなら有り得ないと言い切れるのだが、葵ならば、と思えてしまうのが難しいところだ。 幼い頃から葵が悩まされている悪夢。それに怯えて目を覚まし、泣き叫ぶ場面には何度も出会したことがある。だが、その時に自らが引き起こした行動も、交わした会話も、葵の中に記憶が残っていないことがある。寝惚けているという言葉では片付けられない程度の話。 葵が気に病むだろうからとあえて伝えてはこなかったが、何かしらの睡眠障害を患っているのは確かだろう。 これほどの行動に及んだところには一度も出会したことがないが、部屋を出ようとしたり、服を着替えたりするのは夢遊病の代表的な症状の一つ。父親の言いつけを守って出掛けるための身支度を整えたというのも、ない話ではないのかもしれない。 「パパのこと考えてたって眠る前に?それでこんなに泣いちゃったんだ?」 腫れの残る目元をなぞって尋ねると、葵は気まずそうな表情を浮かべながら頷いてみせる。 葵が父親を恋しがる気持ち自体を否定するつもりはない。言葉でも態度でも愛情を注いでくれた相手ではあるし、再び葵と暮らしたがっていると聞けば、葵の心が揺さぶられるのは必然だとも思う。 「夢の中で、パパに会えた気がするの。抱き締めて、頭を撫でてくれて、それでまた会いに来てくれるって約束してくれたんだ」 葵は恐ろしい夢ばかりを見てしまいがちだが、昨夜見た夢は葵にとって悪いものではなかったようだ。むしろ葵の願望を表した内容なのかもしれない。そう思うと、複雑な気持ちに襲われる。

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