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act.8月虹ワルツ<289>

* * * * * * 体調を崩した葵の顔も見られずに登校したのは初めてかもしれない。いつも真っ先に葵の異変に気が付き、面倒を見ていたのは自分なのだから。 今葵に付き添っている遥が適任だということは分かっている。それでも、葵と離れて暮らすようになって日々募る苛立ちがますます膨らむような気分に陥っていた。 「まーた怖い顔になってる。七と食う飯がそんなにマズいか」 自然と寄ってしまう眉間の皺を見咎めた七瀬が、向かいの席から妙な絡み方で指摘してくる。 役員たちは生徒会室で会議がてら昼食をとるといって食堂には顔を見せないし、一年はオリエン中。都古は授業には出たものの、四限のチャイムが鳴るなり七瀬の声を無視してどこかに行ってしまったらしい。だからランチ相手は、七瀬と綾瀬の二人だけだった。 「別にお前が居ようが居まいが飯の味は変わんねぇよ」 「あっひどい!綾は七と食べるご飯が世界で一番美味しいって言ってくれるのに」 「……彼氏と比べんなよ」 七瀬しか眼中にない男と並ぶはずがない。今だってむくれる顔さえ可愛いと言いたげに隣の七瀬に熱い視線を送っているのだ。七瀬が絡まなければ冷静で真っ当な感覚を持つ人物なのだけれど。 「そうだ、見て見て」 七瀬はただ京介の注意を引きつけられればそれで良かったらしい。すぐに話題を変えて、自身の携帯画面をこちらに向けてくる。そこにはログハウス風の建物の前で紙袋を掲げる双子の姿があった。 「何それ」 「覚えてない?去年皆で行ったじゃん、バウムクーヘンのお店。買ってこいって二人に頼んでおいたんだ」 オリエンの宿泊施設近くの観光地にある地元の有名店。甘いものがあまり得意ではない京介は興味がなかったが、七瀬に誘われた葵が目を輝かせるから仕方なく予定に組み込んだことを思い出す。 体力もないし、クラスメイトと会話するのもまだまだ得意ではない葵にとって、アウトドアのイベントや、グループ対抗のディベートが組み込まれたオリエンは辛いことも多かっただろう。七瀬はそんな中でも葵が喜べるものをと考えて、誘い出してくれたのかもしれない。我儘なようで、人一倍友人思いな七瀬だからこうして長く付き合えている。 それにしても、葵を介さず双子と直接連絡を取り合っているのは少し意外だった。嫌いな相手にははっきりと物を言う七瀬のことだから、生意気な二人のことをそれなりに気に入っているとは思っていたけれど。 「お前ら、いつのまに仲良くなったの?」 「葵ちゃんが休んでるあいだ毎日教室まで様子見に来てさ。なんか健気だなーって可愛く思えてきちゃったんだよね。七の言うこと聞くのは嫌みたいだけど、葵ちゃんの名前出したらちゃんと買ってきたし、写真まで送ってきちゃって。そういうとこも含めて可愛いじゃん」 どこかはしゃいだ様子で双子のことを話してくる七瀬に、今度は隣の綾瀬が眉をひそめる番だ。七瀬とは疑いようもなく相思相愛の関係だし、双子の想い人は葵だというのに、他人を褒める台詞は許せないらしい。 でも七瀬は綾瀬の嫉妬には余裕の笑顔だけを返し、葵を取り巻く環境への興味を遠慮なく言葉にして表現する。

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