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act.8月虹ワルツ<290>
「葵ちゃんの王子様としてはちょっと頼りないかなって思ってたけど、伸び代ありそうだしね。葵ちゃんも初めての後輩は特別みたいだし。本格的に役員になったら、京介っち危ないんじゃないの?」
この友人はまた京介を煽って楽しみたいらしい。応援しているなんて口では言いながら、本当はただ京介を苛めたいだけなのではとすら思えてくる。まともに言い返せば七瀬を喜ばせるだけ。京介が無視して食事を再開させると、案の定七瀬からは笑い声がもたらされた。
「二人には葵ちゃんが熱出て休んでるってこと伝えてないよね?七から言っとく?」
「あぁ、別にどっちでもいいんじゃね。葵は言われんの嫌がりそうだけど」
双子が葵のことで疎外感や焦りを感じていることは察しているが、こればかりは仕方ない。後輩という立場な上に、今回はそもそも学園内に居ないのだ。知らないのは無理もないし、わざわざ連絡するようなことでもない。
「でもさ、今夜葵ちゃんと食べる気でいるっぽいから。ほら」
七瀬が再度見せてきた画面には、彼らとのやりとりが映されていた。そこには学園に戻り次第葵にバウムクーヘンを渡しに行くつもりであることや、予定が合えば七瀬も来ればいいなんてそっけない誘い文句が記されている。
「じゃ、あいつらのことは任せる。適当に相手しといて」
「七だって暇じゃないんだけど?」
「どう考えても暇だろ」
帰宅部なのは京介も同じだが、七瀬はバイトもしていなければ、勉強にも全く時間を割く様子がない。綾瀬といちゃつくぐらいしか予定がないのはお見通しだ。でも七瀬にも言い分があるらしい。口一杯に放り込んだパスタを咀嚼しながら、放課後に何をしているのかを教えてくる。
「まず補習があるでしょ」
「んなもん、自業自得じゃねぇか」
今回は都古だけでなく、七瀬も補習に引っかかった教科数は減らせたらしい。それでも今週は放課後、補習に追われているのだという。授業をサボってばかりの京介が言うことではないが、普段からもう少し勉強しておけば避けられるはずだと呆れる気持ちは否めない。
「それに、都古くんのマネージャーもやってるし」
「は?何、マネージャーって」
七瀬はどこか誇らしげに胸を張ってみせるが、意味が分からない。家業に携わっていた一年前の都古ならスケジュールを管理する存在が必要なのは頷けるが、今の彼には不要な存在。
訝しむ京介に対し、綾瀬が七瀬の説明不足を補ってくれる。
「烏山、リレーの練習に参加してるだろ?怪我してるのに無茶してるから気掛かりで。七と様子見に行ってるんだ」
「あー、そういうこと。放っときゃいいのに」
京介だってつい最近若葉に鳩尾を殴られた身。あの時は僅かに身を引けたおかげで多少のガードが出来たが、それでもまだ痛みは残っている。思い切り蹴り上げられた都古の怪我の程度がどんなものかは、よく理解しているつもりだ。涼しい顔を装って日常生活を送っている上に、全力で走る環境に身を置いているなんて馬鹿としかいいようがない。
都古を止められるのは葵だけだが、彼は練習に参加している事実もひた隠しにしている。あえて口を挟むことはしていないが、葵にバレるのも時間の問題だろう。
「スポーツドリンクあげてるし、昨日はタオルも持って行ったよ。都古くん、やっぱ痛いの我慢してるみたい。一周走っただけでもすごい汗かいてるから」
七瀬は言葉通り、マネージャーの真似事をして楽しんでいるらしい。都古のうざったそうな顔が容易に浮かぶ。けれど七瀬が通い続けているということは、その好意を拒絶はしていないのだと思う。それだけ弱っているのか、それとも七瀬や綾瀬には少しは心を開いているのか。
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