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act.8月虹ワルツ<291>

「京介っちは心配じゃないわけ?」 「するだけ無駄だろ。葵の言うことしか聞かねぇんだから」 「そりゃそうだろうけどさ。補習でまたあいつと一緒になってるんだよ?」 七瀬が“あいつ”と表現した存在。謹慎処分を受けるきっかけになった喧嘩相手のリーダー、尾崎のことだろう。 「さすがにもう絡んできてねぇだろ?」 「うーん、微妙。七の前では話しかけたりはしてないけど、ニヤニヤしながら都古くんのこと見てる。仲間となんか話してたり、イヤな感じ」 都古に病院送りにさせられても尚、反省はしていないらしい。 尾崎は中等部時代、どちらが強いか決めようと言って京介にも勝負をしかけてきたことがあった。結果は京介の勝利だったが、その数日後、仲間を引き連れて再度挑んできたほどしつこく、卑怯な一面を持っている。だから隙を見つけてまた都古にちょっかいをかけようとしかねないという七瀬の懸念には同調したくなる。 都古は葵に気負わせないために日常を送り続けていると思ったが、もしかしたら尾崎たちに隙を見せないためでもあるのかもしれないと感じた。 「だから七は忙しいの」 「ご苦労さま」 「気持ちがこもってないんですけど」 七瀬は京介の気のない返答にむくれてみせるが、彼に感謝しているのは本当だ。京介がケア出来ない部分を、彼らは率先して目を配ってくれている。 元々葵を挟んで張り合う中だった都古とは、部屋が分かれてから必然的に溝が深まった気がする。都古が葵の引っ越しを止めずにいたのも、自分とこれ以上同じ部屋で暮らしたくなかったからではないかと穿った見方をしたくなるほど。 都古の抱えるトラウマには理解を示しているつもりだが、まるで京介に襲われるのを恐れるかのように同室を避けられると気分が悪いのも事実。葵以外に興味はないというのに、だ。 「都古くんともうちょっと仲良くしたら?葵ちゃんもしんどいでしょ、このまんまじゃ」 「そういうのは都古に言えよ」 京介だけでなく、葵以外の全てを拒んでいるのは都古のほうだ。いくらこちらが手を尽くしたところで、無下にされるに決まっている。京介の返答に、彼らは揃って溜め息をついてきた。 「今日はサボんないんだ。めずらしー」 「いつもサボってるわけじゃねぇよ」 昼食を終えて共に二年の教室に向かおうとすると、七瀬が茶化すように小突いてくる。授業に出ないことが多いのは事実だが、単位を落とさないように調整しているし、成績だって七瀬よりは圧倒的に良い。当然補習にも引っかかったことはない。 それに、葵だけでなく冬耶まで西名家の負担を減らすために学園側に様々な奉仕をしていたと聞いてからは、反抗を続ける自分の幼さに嫌気がさしていた。あれから少しずつ教室で過ごす時間が増えた。 だが、二年の教室が並ぶ廊下に居てはならない人物の姿を見つけて、足が止まる。 葵のクラスであるA組の前で壁に背を凭れかけて暇そうにしている赤髪の男。その長身も、首に掛けたヘッドホンも、制服の名残が一ミリも感じられない着こなしも、全てが周囲に威圧感を与えている。 彼の悪評を嫌と言うほど知っている生徒たちは、彼の視界に入らないようこそこそと教室に逃げ込んでいく。普段なら昼休憩の終わりを控えて騒がしいはずのこの場が異様な空気に包まれていた。 あちらも京介の視線に気が付き、まるで親しい間柄のようににこやかに手を振ってくる。

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