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act.8月虹ワルツ<298>

「夜風に当たってたら自然に乾きます」 「まさか。だから朝も窓が開けっぱなしだったのか?昨夜は少し冷えただろう」 だから体調を崩したんだと思わずにはいられない。葵は櫻のピアノがよく聴こえるようにとか、パジャマの上からブランケットを羽織っていたとか言い訳をしたけれど、体が弱い割に意識の低い葵には呆れる気持ちが湧き上がる。 親しくなる前は過剰に葵を構う冬耶たちの姿を“過保護”と感じ、冷めた目で見ていたが、こうして葵を知れば知るほど納得がいく。 今もバルコニーに面した窓は薄く開かれていて、絶えずカーテンが揺れていた。これから暗くなるにつれてまた気温が下がることは予想がつく。忘れないうちに閉めておこう。そう思い立って窓辺に向かうと、葵からは残念そうな目を向けられた。 「みゃーちゃんからも、ちゃんと窓の鍵は閉めてって連絡が来てたんです。前は窓から会いに来てくれるって言ってたのに」 都古が侵入してくることを望むような発言は学園を取り仕切る生徒会長としては聞き捨てならないが、寂しげな顔をされると咎めづらい。 「あいつも夜風が発熱の原因だと思ったんだろう」 「……そうなんですかね」 葵は都古の態度に違和感を覚えているようだった。確かに葵のことしか頭にない彼なら、窓は閉めさせても、自分が乗り込めるように鍵は開けておくように頼みそうな気がする。 でも正直なところ、彼の思考に共感するのは難しい。彼が何を考えているかを想像するだけ無駄だと感じてしまう。だから忍は話題を週末の演奏会のことへと戻してみせた。 「そういえば葵、セミフォーマルな服は持っているか?そこまで格式高い場ではないが、それなりの格好はしていったほうがいい」 葵の引っ越しを手伝った際、彼のクローゼットの中身は大体把握している。そもそも服の数は少なく、忍の目には部屋着にしか見えないようなカジュアルなものばかりだった。西名家の自室にも服を置いていると言っていたが、果たしてああいう場にふさわしい服を持ち合わせているかが気がかりだった。 案の定、葵は“セミフォーマル”自体も分からない様子。 「制服じゃダメですか?」 「言っただろう?櫻との接点を感じさせたくないと」 同じ学園に通っていることが分かれば、それだけで注目を集めてしまう。葵には忍の影に隠れ、出来るだけ目立たないようにしていてほしいのだ。 「分かった、用意しておく」 「もしかして買うんですか?」 「いや、俺が昔着ていたものの中から適当に見繕うよ」 幼い頃からしょっちゅう社交場に連れ出され、その度に衣装を新調されてきた。実家を探せばいくらでも見つかるだろう。 「……昔って、会長さんが何歳の頃ですか?」 学年で言えば一つしか違わない。それなのに小さい子のように扱われるのが不服だったのだろう。 「聞きたいか?」 質問で返すと、葵は難しい顔して唸った挙句、答えを知るのは諦めた。それがいい。忍が今の葵ほどの身長だったのは中学生どころか小学生の頃の話なのだから。当時の忍は葵ほど華奢ではなかったが、年相応の少年らしい体つきをしていた。葵の体ではだぶつく可能性はあるが、見苦しさを感じさせる程度ではないはずだ。

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