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act.8月虹ワルツ<301>

朝食を食べるために訪れた食堂には、聖と爽が待ち構えてくれていた。オリエンから帰ってきたその日に出迎える約束を果たせなかったことが心苦しかったが、彼らはまるでその瞬間をやり直すかのように“おはよう”ではなく、“ただいま”と笑ってくれる。だから葵も彼らを抱き締めるために両腕を広げて“おかえり”と返事をした。 授業についていけるかが心配だったが、たった二日では取り返すのに苦労させられるほどには進捗がなく、葵を安心させた。もちろん、七瀬がノートを貸してくれたという事実も大きい。ところどころ綾瀬が補足や訂正を加えている痕跡が見えるのも前回休んだ時と同じ。 どれほど迷惑を掛けても、七瀬と綾瀬はずっと友人で居てくれる。家族と遥にしか心を開けなかった葵にとって、それが今でも大きな支えになっていた。 やはり大好きな先輩、後輩、そして同級生たちと共にこの場所で日常生活を送っていきたい。馨への恋しさには目を瞑るべきなのだと、改めて実感させられた。衝動に駆られてリボンに記された番号に電話を掛けなくて良かったとも思う。 会いたいと葵が口にしてしまえば、それはきっと葵が今大切に思う人たちとの別れを意味してしまうのだから。 でも葵がここに居ることを願うだけで、解決する話なのだろうか。馨が本当に葵と暮らしたがっているなら、きちんと自分の口で断るべきではとも考えてしまう。 会いたくないわけではない。一緒に暮らしたくないわけでもない。今でも葵にとっては大切なパパであることも伝えた上で、ここで出会った皆も大切なのだと説明すれば、理解してもらえる可能性だってあるかもしれない。 授業に集中しなければと思えば思うほど、頭の中はまた馨の占める割合が増えてしまう。馨の過去も現在も知っている西名家たちは皆、葵を人形としてしか見なしていないと言っていたのに、それでも夢に見てしまうのだ。 陽平と過ごしたような温かな時間を、馨とも作り出せるのではないかと。 考え事をして溜め息ばかりついていると、あっという間に三限分の授業が終わってしまった。 「……ごめん、七ちゃん。さっきの授業のノートも見せてほしい」 空欄の目立つノートを見下ろして、葵は前の席に座る七瀬の背中を突いた。葵が休んでいる間に席替えが行われたようだが、七瀬との位置関係は不思議と変わらずに済んだのだ。 「いいけど、珍しいね。やっぱりまだ具合悪い?」 「ううん、ちょっと書き漏らしちゃっただけ」 疑わしい顔をする七瀬に慌てて言い訳をする。もしも七瀬がこのことを誰かに告げてしまったら、このあと控えている遥の家へのお泊まりも、明日櫻の演奏会に行くことも叶わなくなる。 でも七瀬はそれ以上追及することはなかった。 「返すのは今度でいいよ。お兄さんたち、迎えに来るんでしょ?」 「うん、ありがとう。来週、一緒にバウムクーヘン食べる日決めようね」 朝食時に聖と爽は葵だけでなく、七瀬の都合が合う日にと言っていた。元々土産をリクエストしたのは七瀬なのだから自然な流れかもしれないが、葵にとっては親しい人同士の繋がりが深まった気がして、嬉しい提案だった。 そして七瀬も二人からの誘いを受けて、満更でもなさそうな顔で笑っていた。

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