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act.8月虹ワルツ<305>

* * * * * * 二日も学校を休んだと聞いて心配していたが、都古に連れられて現れた葵は冬耶の顔を見るなり走って飛び込んでくる。顔が赤く見えるのはまだ微熱があるせいか、それとも走ったせいなのか。もし熱ならば帰すべきとも思うが、ここまで来て可愛い弟を手放すつもりはない。 そのまま車を停めている場所まで連れて行くと、葵は不思議そうに見上げてきた。西名家のファミリーカーでも、冬耶のスポーツカーでもなく、見慣れぬセダンがそこにあったからだろう。 「今日は遥が運転してくれるって。だからあーちゃんは俺と座ろうな」 「……あ、ホントだ、遥さんだ」 冬耶の言葉で運転席を覗き込んだ葵は途端に目を輝かせる。昨日も一昨日もたっぷり過ごしたはずだというのに、兄を差し置いて手を振られている遥が妬ましく思えてしまう。 今日はこのあとどこかでランチをして、同級生の有澄がバイトしている店に顔を出す予定だった。葵が幼い頃から大事にしている絵本の修理を依頼するためだ。だから葵が肩から下げているバッグからは、年季の入った絵本が顔を覗かせていた。 後部座席の扉を閉めると車は滑らかに走り出す。免許を取得してから積極的に運転していた冬耶と違って、遥はあまりハンドルを握ってこなかったのだという。 だから学園に来るまでは冬耶が助手席でサポートをしてやっていたのだけれど、元から何事にも器用な性質の彼はもう感覚を取り戻したようだ。先ほどまで見せていたぎこちなさはすっかり取り払われていた。その姿を見て、葵は“かっこいい”なんて喜んでいる。 車にも嫌な思い出があった葵だが、この分ではその記憶も楽しい思い出で少しずつ上書き出来ているのだろう。 それでも冬耶の手を握って離さないのは、少なからず怯えも感じている証拠。葵をどこかに置き去りにするはずなんてないというのに。こうして葵の心に刻まれた傷の深さを目の当たりにするたびに、彼を傷つけた全ての人間への憎しみが募っていく。 「とりあえず早乙女の店のほうに向かうけど、葵ちゃん、何か食べたいものある?朝は普通にご飯食べられたんだよな?」 「うん、パンケーキ食べたよ。あとはヨーグルトとイチゴ」 遥に褒められたいと言わんばかりに、葵は得意げに報告をした。この年齢にしては控えめなラインナップではあるが、病み上がりであることを考慮すれば十分だと感じる。 「じゃあもしかしてまだお腹空いてない?」 「……そんなことないよ、ちゃんと空いてる」 「病み上がりなんだし、無理はしないこと。分かった?」 手放しで褒めてあげたくなった冬耶とは違い、遥は朝食を無理に詰め込んだ可能性を考えたようだ。回答に一瞬詰まったことを考えると図星なのかもしれない。強がりを見越して諭す遥は、冬耶の目にはやはり厳しく見えるのだけれど、だからこそ彼に褒められた時の喜びが増すのだとも思える。 目的地付近のレストランを調べて相談した結果、ランチは席数がそれほど多くはないこじんまりした和定食の店に決めた。その店で定番の焼き魚に惹かれたわけではなく、ランチセットについてくる抹茶のゼリーが気になったらしい。甘味であれ、葵が何かを食べたいと言い出すだけで十分だ。遥もそれには同意なのか、嗜めることなくその店に車を向けた。

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