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act.8月虹ワルツ<309>

「無茶しないようにって言い聞かせたかったのに。あーちゃんのペースに飲まれちゃったな」 「それもあの子が成長したってことなのかもしれない」 葵が三人分の空のカップを捨てに行く後ろ姿を見つめながら遥に話し掛けると、彼もまた葵に視線を向けたまま返事を返してきた。 葵の頑張りは認めてやりたい。それでも馨のことを思って泣きじゃくり、挙句、自らの腕をまた噛んでしまったと聞かされれば、やはり一人にはしておけないとも思う。 「これ、貰っちゃった。また来てくださいだって」 戻ってきた葵はこのコーヒースタンドのロゴがプリントされたショップカードを手にしていた。店のSNSのURLが載っているほか、手書きでメッセージアプリのIDが記されている。どこか浮かれた顔で葵に手を振っている店員の個人的な情報だとすぐに勘付いた。 いくらキャップで隠していても、可愛い顔立ちは隠しきれない。来店した時から目を付けられていたのだろう。連れが居るというのに大胆なものだ。 「お兄ちゃんが持っててもいい?他にも店舗があるか調べてみたいから」 「うん、いいよ」 ナンパされたなんてちっとも気付いていない葵はあっさりとカードを渡してくる。それを店員に見せつけるように己の胸ポケットに仕舞うと、遥もわざとらしく葵の肩に腕を回して引き寄せた。一瞬でも葵を邪な目で見られたことが腹立たしいのは同じのようだ。 「誰でもいいって言ったって、ああいうのに取られるのは嫌だろ?」 「どう考えても配り慣れてるし、チャラいやつはダメ」 「そう?冬耶と同じ“一目惚れ”かもしれないのに」 自分だってあからさまに牽制していたくせに、冬耶だけを一方的にからかってくるのはどうにも腑に落ちない。でもこうしていると、卒業する前の日々を思い出す。 少しずつ学園に馴染み、自然な笑顔も見せられるようになった葵を、そうした対象として注目する生徒は徐々に増えていった。好意的に接してくれる分には大きな害はないし、真剣に思ってくれているなら無理にその思いを潰す必要性は感じない。けれど、ただ欲望の捌け口としてみなす者には一切の容赦をしてこなかった。 二人して物騒なあだ名を付けられたのも、それが一番の原因だ。 「お兄ちゃん、誰に一目惚れしたの?」 二人の間に収まり、不思議そうに会話に耳を傾けていた葵が問いかけてくる。 「うーん、初めての一目惚れはあーちゃんかな?」 他の誰かに心を奪われたことがあるなんて嘘をつきたくはない。でも葵にこの思いを伝えるわけにもいかない。だから冗談めいた笑顔を向けて答えれば、思惑通り葵はそれがふざけた回答だと受け取ったらしい。 “じゃあ僕も”なんて無邪気な言葉と共に腕が絡められる。戯れのようなやりとりに思えるけれど、冬耶が初めて愛したのも、今に到るまで愛し続けているのも葵。それをもしもこの子が知ったら、何を思うのだろう。 兄として冬耶を慕う気持ちを裏切ったと感じるかもしれない。 遥が物言いたげな目を向けているのは察しているが、冬耶はそれを無視して葵にだけ笑顔を向け続けた。

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