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act.8月虹ワルツ<312>

草間は案外このプラネタリウムから遠くない場所に住んでいたらしい。一時間も経たずに現れた草間は、高山家で目にした家政婦姿ではなく見慣れぬカジュアルな装いだった。よほど慌ててやってきたのか、息を切らして両手一杯に掃除用具を持ってきたことも奈央を笑わせた。 「それで、坊ちゃんはこちらの館長さんとはどういうご関係なんですか?」 挨拶を済ませたあと、草間は奈央と館長を見比べてストレートに疑問をぶつけてきた。 「ここは後輩の思い出の場所なんだ。彼に連れてきてもらって、館長さんとも知り合いになって」 「じゃあその後輩さんもどこかにいらっしゃるんです?」 「ううん、今日はいないよ。でも次は一緒に来たいと思ってる」 その時までにはこのプラネタリウムを、葵が初めて訪れた時の姿ぐらいには戻してみたいと考えていた。草間の到着を待つ間館長と話していた限りでは、十年前もそれなりに年季の入った施設ではあったようだけれど。 「あらやだ、坊ちゃんにそんなお相手がいらしたなんて」 奈央はただこの場所が自分にとっても大切な場だと伝えただけだというのに、草間は途端に己の頬に両手を添えて好奇心を隠しもしない目を向けてきた。 次は幸樹も一緒だから二人きりの約束ではないし、葵は生徒会の後輩。そんな言い訳を口にしようとするが、草間が嬉しそうに続けた言葉で否定を飲み込まざるをえなかった。 「きっと素敵な方なんでしょうね」 「それは……うん、そう」 奈央はあくまで葵への賛辞を認めただけで、好意があると言ったわけではない。それなのに草間は微笑ましいものを見るように目を薄めてくる。 いつか紹介してほしいと言われて、断る理由もなかった。加南子のことは初対面から気に入っていなかったと言ってのけた草間だが、葵のことはきっと可愛く思ってくれる自信があったからだ。 親しい後輩で、それ以上の関係ではないという説明を聞き流し、どこか浮かれた様子の草間がうっかり妙なことを言い出しかねないかだけが心配だったけれど。 せっかく訪れた客が帰ってしまわないようにと、草間は館長をチケット売り場に押し戻し、早速館内の掃除に取り掛かり始めた。 「そういえば、寮生活を始めた時も電話いただきましたっけ。洗濯機にエラー表示が出て困ってるって」 草間の動きを真似ながら座席の一つ一つに向き合ってしばらく、彼女は数年前のことを思い出してクスクス笑ってくる。 食事は言わずもがな、掃除や洗濯だって寮のサービスを依頼すれば自分の手を動かさずに済ませることが出来る。実際大半の生徒が実家と変わらぬ生活を送っているようだ。 でも奈央は自立の一歩だと思い、出来るだけ全てのことに挑戦してみることを選んだ。だが結局のところ、唐突なトラブルに困った挙句実家に電話を掛けて一番に出た家政婦のアドバイスを求めてしまった。その相手もそういえば草間だった。 「小さな頃からずーっと頑張り屋な坊ちゃんのことが誇らしいんですよ、私は」 昔のことを掘り起こされて恥ずかしさを感じた奈央とは裏腹に、草間にとっては大切な思い出として残っているらしい。そう言われるとやはり文句は言えない。 人生経験豊富な彼女にはまだまだ敵わないようだ。奈央が諦め半分でつられて笑うと、草間はもっと楽しげな笑顔を浮かべてみせた。

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