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act.8月虹ワルツ<323>

「ごめん、あーちゃん。辛い思いさせてたなんてちっとも気が付かなかった。お兄ちゃん失格だね」 冬耶が自分を責める必要は全くないと思うのだけれど、葵を抱き締めてきた手は震えていた。 「大袈裟だよ、大丈夫」 「いや、お兄ちゃんが教えるべきことだった。本当にごめん」 これほど真摯に謝られると、話題に出すぐらいで恥ずかしがる必要がないのかもしれないと思わされる。遥の言うとおり誰もが当たり前にすることで、知らなかった葵が珍しいのだと。 「京ちゃんも知ってるの?お兄ちゃんが教えた?」 「うーん、京介ともそういう話はしてこなかったからな」 「じゃあお兄ちゃんは誰から教わったの?お父さん?お兄ちゃんもする?」 「あぁ、えっと……そうだな、なんて答えたらいいかな。なぁはるちゃん、どうしたらいい?」 兄の腕に包まりながら思いついたままに疑問を口にしていくと、冬耶は途端に歯切れが悪くなるしまた困った顔をする。それに助けを求められた遥は声を上げて笑い出した。何かおかしなことを言った自覚はなかったのに、難しい。 「家族や友達から聞くこともあるし、ネットや漫画で知ることだってある。人それぞれだから、時期や経緯は気にしなくていいよ。ちなみに俺は小学生の時、クラスメイトから話を聞いたのが最初かな?多分」 冬耶に助け舟を出すように遥は代わりに答えてくれる。遥がそうなら、彼とずっと仲良しだった冬耶も似たようなものなのだろう。 葵は中等部に上がるまでにロクに学校に通っていなかったし、友達だっていなかった。そんな話題を耳にする機会が人より少なかったと思えば、無知なことにも少しは言い訳が出来る気がした。 「で、ちょっと寄り道しちゃったけど、今日は冬耶に教わって練習する?」 葵の焦りや戸惑いが落ち着いたのを見計らったかのように、遥がもう一度尋ねてくる。彼の話では、家族に教わることもおかしくないらしいし、自然な流れなのかもしれない。 「……それって、遥さんも一緒にいるの?」 「俺が居たら嫌?」 「嫌とかじゃないけど、二人は普通なのに、僕だけ練習するのはちょっと」 遥と一対一の状態でも恥ずかしさはあった。耐えられたのは、ブランケットを被ってしがみつく体勢ならば、彼の視界には入らないと思ったからだ。でもその場にもう一人居るのは状況が大きく異なる。想像しただけでも頬が熱くなる。 「じゃあ皆でする?それなら恥ずかしくないだろ」 「「え?」」 遥の提案に声を上げたのは葵だけでなく、冬耶もだった。確かに二人に見守られながら自分の体を慰めるよりは、全員が同じ状況にあったほうが恥ずかしくないという考えは分からないでもない。けれど、一人とはまた違った気まずさが生まれそうな気がした。 それに冬耶の困り顔がやはり胸に引っ掛かる。遥の提案を好ましくは思っていないように見えた。 「ううん、平気。もう一人で大丈夫」 「本当に?」 前回も遥の手助けがなければどうにもならなかった。だから疑われるのは無理もないと思う。葵だって自信は全くない。でもこの場を収束させるには他に方法がない気がした。 葵はただ二人と楽しい時間を過ごしたいだけで、あの行為がしたいわけではない。確認してきた遥に頷きを返すと、冬耶が複雑そうな表情のままホッと息をつくのが分かった。これできっと良かったのだ。

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