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act.8月虹ワルツ<327>

「……あなた方の分の招待状はありませんが?」 葵をリビングに連れて行こうとすると、後ろに控えていた二人もやはり当然の顔をして“お邪魔します”なんて言ってきた。さすがにどこまで着いてくる気なのか確認したくなる。 「分かってる。でも支度中に必要になるかもしれないだろ?」 遥の言葉で彼らが何をフォローする気でいるのかはすぐに察しがついた。 親戚のフリをするという建前で、葵にはいつもとかけ離れた姿をしてもらう計画だ。自分の外見に強いコンプレックスを抱く葵がどんな反応を見せるのかを危惧しているのだろう。 櫻からはパニック状態に陥った葵の話は聞いている。もしも似た状況になった時、自分が完璧に対処出来るか自信があるかと言われれば怪しい。葵の扱いに慣れた彼らが同席していたほうが心強いのは確かだ。 リビングで待ち構えていた恵美とも挨拶を交わし、いよいよ本題に入る。 忍以外の全員が席につくと、それを合図にシルバーのハンガーラックがメイドの手によって運ばれてきた。そこには昨日忍自らが選定したセットアップの数々がぶら下がっている。葵はその数の多さに目を丸くしてみせたが、これでも絞り込んだほうだと告げたらもっと驚くだろう。 サイズを確認するために葵を呼び寄せれば、また少し緊張を滲ませた面持ちで近づいてきた。 この場には冬耶と遥だけでなく、可愛いもの見たさで野次馬をする気の恵美も残っている。 それにメイドの申し出を断り、忍自ら葵にジャケットを羽織らせてやる行為が使用人たちの好奇心を煽ったらしい。前回泊まらせた時にも葵への好意を隠すつもりはなかったから特別な相手だということはすでに伝わっているだろうが、甲斐甲斐しく世話を焼こうとする光景を目の当たりにするとより一層興味をそそるのだろう。 彼らの注目を浴びながら着慣れぬ服に腕を通すのは、葵にとって居心地の悪さを感じるらしい。 「これは肩幅に余裕がありすぎるな」 どんなに質の良いものでも体に合ったものを着せなければ台無しになる。忍が今日着る予定のスーツと似た色味のジャケットを一番に試してみたが、葵の体には大きすぎると知って少し残念に感じてしまう。 忍の言葉で控えていたメイドがワンサイズ小さなものを取りやすい位置に並べ替えた。キャメル、グレー、ネイビー。その三色の中から好みを尋ねれば、葵はネイビーを手に取った。 「招待状と同じ色なので」 葵の言う通り、濃紺の生地に光沢のあるシャドーチェックの入った柄は、封筒に白いリボンが掛かった様子を連想させなくもない。シャツやネクタイを見繕い、揃いのハーフパンツを持たせてやると、葵は着替えのためにメイドの先導で別室に向かった。 「今更こんなことを確認するのも野暮ですが、本当に連れて行って問題ないんですね?」 全く口を挟まずにこの場にいる先輩たちに声を掛けると、二人はそれぞれ違う表情を浮かべた。 誘うよう忍をけしかけた遥は笑ってみせたが、冬耶は不安を滲ませたのだ。何よりも弟を大切にする彼は、病み上がりの葵を人に預けて外出させることも、ましてその行き先が月島家の演奏会であることも心配なのだろう。 葵の幼少期の姿を知っている男が招待客の中にいる。その話は彼らにも当然共有していた。親戚として連れていくという案には同意してくれたものの、やはり万が一のことを考えてしまうに違いない。

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