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act.8月虹ワルツ<328>
「あーちゃんには純粋に楽しんで欲しいけど、常に最悪の事態を想定して行動してほしい」
「はい、心得ています」
冬耶に釘を刺されずとも、葵の傍から片時も離れるつもりはない。
月島家の人間や招待客は皆、忍の連れというだけで葵に関心を抱くだろう。でも直接会話をさせる気はなかった。彼らの詮索や嫌味を葵がうまく受け流せるとは思えないからだ。ボロが出る可能性が大いにある。
藤沢家の子息だとバレるだけならまだいいが、過去のことを面白半分で覗かれ、掘り下げられるのだけは避けたい。月島家の一員である櫻のこともあれほど無遠慮に蔑む人種の集まりなのだから、どんな傷つく言葉を与えられるか想像するだけで恐ろしい。
冬耶もきっと同じことをイメージしている。それでも葵を送り出すのは、本人が参加を望んでいるからだ。
それにお節介な冬耶は櫻のことも在学中から気に掛けていた。奈央に手を差し伸べたように、櫻にも何かをしてやりたかったのだと思う。櫻が葵を必要としているなら。そんな想いも感じられたのは、忍の考えすぎだろうか。
再びリビングに戻ってきた葵は、上下揃いの服に身を包み、照れくさそうな表情を浮かべていた。
忍がそれを着ていた当時は、実年齢以上に大人びた印象を与えるデザインに思えたが、今はその逆。忍と並ぶと、年齢差がたった一つしかないようにはとても見えないだろうと思わされる。制服と違い、膝丈のパンツが幼さを強調してしまっているのかもしれない。
「あの、どう、ですか?」
最近の日課になりつつあって、つい不格好なネクタイに手が伸びてしまう。整えてやると、葵は忍に感想をねだってきた。
「よく似合っている」
「大人っぽく見えますか?」
葵の自己評価はどうやら現実と大きくかけ離れているらしい。期待するような目を向けてくる葵にまるで真逆のことを考えていたとは言えず、忍は“あぁ”と短く答えるだけに留めたが、さすがに笑いは堪えきれなかった。
「子供向けのデザインだから仕方ない。それに年齢が離れているように見えたほうがいいだろう?」
途端に疑わしそうな顔になった葵を言い含めようと試みるが、それは幼く見えると断言したようなものだ。葵はますますむくれた顔になってしまった。
でもそれは忍を焦らすどころか、喜ばせる。少しずつ遠慮が薄れてきたのか、こうして素直に感情を見せてくれる機会が増えたことが嬉しいのだ。拗ねた感情を維持するのは苦手なようで、笑う忍につられて笑顔になる素直な性質もますます忍を夢中にさせた。
仕上げとして特徴的な髪や瞳を隠すアイテム、ウィッグと眼鏡を差し出せば、葵は周囲の心配をよそにどこか嬉しそうな反応を見せた。自ら進んで鏡に向い、忍と揃いのアッシュグレーがかった黒髪を弄ってはくすぐったそうに笑っている。
自らのコンプレックスを隠して喜ぶ仕草は、葵が心に受けた傷の深さを表しているようで切なくさせられた。
それは黙って様子を見守っていた冬耶と遥も同じだったのだろう。二人共が葵に慈しむような視線を送っていたのが印象的だった。
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