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act.8月虹ワルツ<329>

* * * * * * 袖口にきらりと光るカフスボタン。白蝶貝という貝殻を使ったものなのだと教えてもらった。動くたびに虹色に輝くそれが綺麗で、つい自分の腕を傾けて楽しんでしまう。 「そんなに気に入ったのか?」 不意に声を掛けられて顔を上げると、忍がこちらを見て笑っていた。会場に向かう道すがら、どの花屋に立ち寄るかを運転手と相談していると思って油断していたが、いつのまにか会話は終わっていたらしい。 「キラキラして綺麗なので。それに会長さんとお揃いですし」 忍の袖口にも同じ素材のボタンが付いている。スーツやネクタイの色味や形は違うけれど、ここだけがお揃いだった。 「葵、“会長さん”は禁止だと言っただろう?今日はなんと呼ぶんだった?」 「あ、えっと……お兄ちゃんって」 「そうだ。今から慣れておけ。櫻のことも“先輩”だなんて呼ぶなよ」 それが今回演奏会に参加するための条件だと分かっていても、慣れ親しんだ呼び名を変えるのは思っていた以上に難しい。無意識に口に出てしまうのだ。頷きはしたが、自信はなかった。 月島家や来賓とのおしゃべりは基本的に忍に任せていいと言われている。だから葵はそれに甘えて極力口を開かないのが正解なのだろう。 「さっきも言ったが、一式着て帰って構わないからな。返す必要はない」 「いえ、ちゃんとお返しします」 何度もカフスボタンを見つめていた様子を、ねだっていると思われてしまったのかもしれない。北条家を出る時にも提案されたことを改めて告げられ、葵は慌てて首を横に振った。 手触りや着心地からしてどう考えてもスーツは高級品だし、カフスボタンやネクタイピンもそう。気軽に貰えるような代物ではない。 「それだけじゃない。今日選ばなかったものだって、俺はもう二度と着られないぞ?お前が貰ってくれたほうがよほど役に立つ」 忍の言いたいことも分かる。ほとんど着られた形跡がなく保存状態のいい服達がもう日の目を見ることがないなんて勿体ないとは思う。でも葵にはこうした正装をして出掛ける機会なんて滅多に訪れないし、大抵の場合は制服で事足りると感じてしまうのだ。 「また櫻の演奏会に行ったっていいし、どこか別の場所でも構わない」 着る機会がないといえば、忍はこうも言ってくれる。好意を無碍に断り続けるのも失礼な気がするが、そうなると余計になんと返せばよいか分からなくなる。それを忍は見越してか、まずは今日を楽しもうとも付け加えてきた。 大きく頷いた拍子にずれた眼鏡を直すため窓ガラスに向き合えば、そこには見慣れぬ姿の自分がいた。 都古ほどの漆黒ではないが、日差しを浴びると灰色の混じった色味になる黒髪。もしもこんな姿で生まれていたら何かが変わったのだろうか。考えたって何の意味もないことだと分かっていても、ついそんな思いが過ってしまう。 もしかしたら暗い顔をしていたのかもしれない。葵が窓から視線を離せずにいると隣に座っている忍に腰を抱き寄せられ、こう言われた。 「どんな格好をしていようと、俺の好きな葵は一人だ。変わらない」 その言葉は穴だらけの胸にスッとはまって葵はようやくウィッグをいじる手を止めることが出来たのだった。

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