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act.8月虹ワルツ<330>
内輪の会だと聞いていたから、演奏会はこじんまりした会場で行われるものかと思い込んでいた。でも櫻への花束を買って向かった場所は想像を何倍も上回るほど立派なホールだった。高等部の生徒全員を余裕で収容出来る講堂といい勝負かもしれない。
会場前のロータリーには葵でも分かるほどの高級車が列をなし、そこから華やかに着飾った人たちが続々と姿を現す。否が応でもまた葵の胸に不安が生まれそうだったが、それを取り払うためか、車から降りるとごく自然に忍が手を繋いでくれた。
受付を済ませて入場したエントランスは、外観以上の煌びやかさだった。これほど大きなシャンデリアも、長い絨毯も、金色に輝く装飾品も、葵は未だかつて目にしたことがない。
忍曰く、ここは派手好きな月島家の嗜好が詰め込まれているらしい。見た目の華やかさと違って、シンプルで機能的なインテリアを好む櫻との違いを感じて、葵は人知れず複雑な思いに駆られる。
葵がきょろきょろと辺りを見回しているあいだ、有名人らしい忍は老若男女問わずあらゆるタイプの人たちから話しかけられ、お決まりの挨拶を交わしていた。
景気や会社の業績がどうとか、どこかの誰々がどうしたとか、正直葵にはさっぱり分からないことばかり。忍がタイミングを見計らって相手に親戚だと紹介してくれた時にだけ、葵は愛想笑いを浮かべて会釈するのみ。余計な口を挟まないに越したことはない。
元々学園生活を共に送っていても忍は一歳しか違うとは思えない程大人で、しっかりしているとは思っていた。でも今日の忍はそれが顕著で、彼がその背にどれだけ大きなものを背負っているのかが垣間見られた気がした。
ここに集まっている殆どの人よりも若い忍が、皆に一目置かれていることは葵にもなんとなく理解できる。そして誰よりも格好良い。自分が場違いなのは承知しているが、葵は彼の隣に並べていることが誇らしくもあった。
時折葵でも分かるぐらいあからさまに忍と二人で話したがる相手が現れた。そのほとんどが女性で、忍を独り占めする葵に訝しげな目を向けてもきた。心細さは感じるが、少しぐらい一人で時間は潰せる。だから大丈夫と告げても、忍は決して葵の手を離そうとはしなかった。
「今日は葵が居てくれて助かった。お前を理由に会話を早く切り上げることが出来る」
一通りの挨拶が終わりエントランスの一角にあるベンチに並んで座ると、忍はそう言って笑った。
その笑顔は今まで家同士の付き合いで会話を交わしていた相手に見せていたものとは全く違いリラックスしたもの。それを自分は見られるというだけで葵はまた嬉しくなる。
「お疲れ様です。大変なんですね、色々」
「まだ最大の難関が待ってるがな。主催者との挨拶がまだだ」
無難な労いしか出来なかった葵に、忍は少しうんざりした顔をしてみせた。そして葵の頭に手を置くと、気遣わしげな目を向けてくる。
「葵。櫻の親族は癖のある人間ばかりだ。もしかしたら嫌な思いをするかもしれない。でも気にしなくていい。ただ何かしら言いたいだけなのだから」
よっぽど心構えをして臨まなければならない相手なのだろう。葵は大丈夫、と言う代わりにしっかりと頷いて答えた。忍が一緒に居てくれさえすれば、何も怖いことはない。
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